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24/03/27

『人間失格・桜桃』
●アラビア語のレッスンで太宰治の「人間失格」を読んでいくことになった。シリアの文学者で詩人、東大の非常勤講師をされているムハンマド・オダイマという方によるアラビア語への翻訳版。とりあえず事前準備に日本語で目を通しておこうと、原著(『人間失格・桜桃』角川文庫・1950)を本箱から探し出してきてほぼ半世紀ぶりに読んだ。どんな内容だったのか忘却の彼方のことである。しかし、導入部分の数ページでなんとも嫌な気分に襲われ、さらに読み進んでいくにつれ不快感はいや増しに。投げ出したくなる気分を押さえ込みながらの苦行であった。若かりし頃どういうふうな思いでこれを読んでいたのだろう。「ブンガクだ!」と感じ入っていたのだろうか。還暦を過ぎた、老境の身にはただただ鬱陶しい物語であったとしか言いようがない。「恥の多い生涯を送って来ました」なんて、そんな独白をえんえんと聞かされたところで「みんなそうなんよ!」と呟きたい。深夜、ふと目が覚めて、脈絡もなしに昼間のあれやこれやを思い出し、その恥ずかしきわが言動に、貧相なわが振る舞いに、思わずギャーッ!と奇声をあげることしばしば。あちらこちらの寝間は奇声であふれかえっているはずだ(たぶん)。「唐詩選」にある「人生別離足ル(人生には別れがいっぱい)」に倣えば、「人生慚愧足ル」だ。井伏鱒二の「サヨナラダケガ人生ダ」に倣えば、「赤ッパジダケガ人生ダ」なのだ。アラビア語版の書名はベタで直訳すると「…そして、もはや彼は男ではない」であった。ただこれは英語版タイトルの「No Longer Human」からの重訳っぽい感じ。Humanではなく「男(ラジュル)」と表現されるあたりがアラビア語圏ならでは語法か。ともあれ、これを教材にレッスンは始まったのだが、「男じゃない」だの、「人間じゃない」だのと、数々の「失格」の烙印にわが身は打ちひしがれて、先生も私もともにテンションがいまいち上がらずじまい。次回からはテキストが変わることになった。よかった。

24/03/16 ●「スポーツ森羅万象」(城島充/サンケイ夕刊)第8回をリンクします。
 「アリとは違う伝説になる」“悪魔王子”ナジーム・ハメドが抱いた夢

24/03/08 第4回 文庫・新書でふりかえる「鶴見良行の世界」『バナナと日本人』をアップいたしました。

24/03/02 大阪自由大学通信(3月号)をアップしました。
インドの大魔王「お笑い神話(3月号)」をアップしました。
●「スポーツ森羅万象」(城島充/サンケイ夕刊)第7回をリンクします。
 「葛西紀明が飛び続ける理由 故郷の原風景と亡き母のメッセージ」

24/02/19 第3回『文庫・新書でふりかえる「鶴見良行の世界」』をアップいたしました。

24/02/07 インドの大魔王「お笑い神話(2月号)」をアップしました。
ちょいヨミ ななめヨミ 本のはなし『ガザとは何か』をアップしました。

24/02/03 大阪自由大学通信(2月号)をアップしました。
●城島充氏による「サンケイ」(夕刊)紙上での「スポーツ森羅万象」好評連載中です。
これまでの記事を下記にリンクして一覧にしますのでどうぞご一読を。
第1回:「大阪五輪」恩人が描いた夢 万博会場は「海上五輪」の舞台だった
第2回:知らなかった 水谷隼16歳の覚悟 「僕はすべてを捨ててドイツに来た」
第3回:120%、沖縄のために戦った」ヒーローの実像にふれて生まれた葛藤 具志堅用高
第4回:「武蔵野のローレライ」上原久枝さん「世界のオギムラ」支えた献身
第5回:朝青龍「私が日本人だったら…」横綱の品格とは「反逆児」の葛藤
第6回:岡山のジム初の世界王者誕生 ローカルジムで紡がれた拳の絆

24/01/23 第2回『文庫・新書でふりかえる「鶴見良行の世界」』をアップいたしました。

24/01/09 インドの大魔王「お笑い神話(1月号)」をアップしました。
大阪自由大学通信(1月号)をアップしました。
ちょいヨミ ななめヨミ 本のはなし『ヴェネチィアの宿』をアップしました。

24/01/04 ●本年もご愛顧のほどお願い申しあげます。能登大震災、日航機炎上と大きな惨事に見舞われ、たいへんな幕開けとなりました。被災された方々にお見舞い申しあげます。
『文庫・新書でふりかえる「鶴見良行の世界」』(庄野護著)の連載が始まります。

23/12/30 ●ぎりぎりになってやってしまった!このページ・ファイルを編集してるところで知らないうちに11月以前のデータのほとんどを破損・消失してしまい、間の悪いことにそのことに気づかないままWebサーバー上にあるファイルに上書きしてしまった。というわけで2023年4月から11月上旬までの内容はなくなってしまいました。ご諒承ください。「こまった、こまった」と嘆いていたら家人から「誰も困っていないはずよ」と断言され、たしかにそういうものかなとも思い直している。うん、たしかに困らない。でも万一気になる方がいらっしゃれば秋に刊行いたしました『哀愁のコロフォン』に7月ごろまでのものは一部収録しておりますのでご購読いただければ幸いです。
●今年も何かとお世話になりありがとうございました。それではよいお年を!

23/12/28 ●昨晩発信の元(はじめ)正章牧師からの月刊「益田っこ通信」に添えられたメールの一文に声を失った。大橋愛由等氏が25日朝方、脳梗塞で亡くなったという。68歳。病気とは無縁の、エネルギッシュな印象しかない。信じられない思いだ。「津川雅彦ばりの美男子で、神戸のダダイスト、風狂の歌人……、スペイン料理カルメンの店主にして、出版社まろうど社社主のほか、彼の足跡を挙げれば、他にもいろんなことで活躍していた」(元氏)。そう、ほんとうに多才な人だった。かつて私がかかわっていた「大阪編集教室」という学校ではライティングの講師を2002年から10数年間引き受けてもらった。直近でお会いしたのは、一昨年の夏、元牧師の帰省に合わせて催された、阪急六甲の中華料理屋さんでの酒席であった。いつもの談論風発ぶりだった。たしか御尊父が在籍されていた、満洲国の建国大学の話題であったように記憶する。今夏も元氏と大橋氏の「カルメン」で一献の予定であったが、これは事情あって流れてしまった。今となって思えば残念なことであった。ご冥福をお祈りします。

23/12/04 インドの大魔王「お笑い神話(12月号)紅葉の小径を独り歩け」をアップしました。

23/12/01 大阪自由大学通信(12月号)をアップしました。

23/11/28
●神戸サンボーホールという、貿易センタービル横のイベントホールで例年実施されていた古本市(去年は中止だった)が、今年は場所を変えて、「第一回えべっさん古本まつり」と銘打って西宮神社の境内で開催された(11月23日〜27日)。死ぬまでかかっても読み切れないほどの積ん読状態にあり、もうそろそろ落ち着いて一意専心読むほうに注力すべき年齢なのに「古本市」と聞けばそわそわしてしまう。批評家の若松英輔氏が愛書家を「読書家・購書家・蔵書家」に分類して論じている記事(日経、2023.10.21)を目にしたが、そこで使われていた「購書家」という呼称が印象的であった。ともあれ、初日の23日、えべっさんに向かった。20店舗あまりの出店で、お天気もよく、サンボーホール時代よりもお客さんも多くて賑やかな印象であった。その夜の主催者のSNSには、初日のまとめとして「大盛況であった」「新たにかなり補充した」という文言が並んでいた。そうか、新たな補充がなされたのか……。であればもういっぺん行ってみようか、ということで25日、再びえべっさんへ。ふつうだったら、大人しくシンボーする。さすがにもういっぺんとはならない。ならないのだが、初日に買った、徳永康元『ブダペスト日記』(新宿書房、2004)に影響されてしまったのだと思う。著者の徳永康元氏(1912-2003)は、戦前にハンガリーに留学されていた言語学者。文化人類学者の山口昌男氏は、著者のことを、酒の世界の酒仙になぞらえて、本の世界の「書仙」と呼んだ(坪内祐三「徳永康元さんの思い出」本書所収)。高名な愛書家であり、国内外の古書事情に精通したエキスパート。その著者と、先の山口氏との対談(「古本漁りはパフォーマンス」)が本書に収録されており、そこに徳永氏のつぎのような発言があった。「(略)年をとると、本集めは、かえってやめちゃいけないといいますね。九十になっても、死ぬ二、三日前まで買ってたという人が、幾人もいますよ。そういう人は、頭がちゃんとしているね。やめちゃった人はだめだ。(略)」だって。これでシンボーがきかなくなってしまったか……。

23/11/20 ●ノンフィクション作家の城島充氏より古巣の「サンケイ」(夕刊)で連載(月2回)をはじめた旨の案内をもらった。第1回は〈「大阪五輪」恩人が描いた夢 万博会場は「海上五輪」の舞台だった〉。2025年大阪・関西万博に向けて工事が進められている、ここんところ何かと話題の人工島(夢洲)は、かつて2008年開催の夏季五輪の会場予定地であった。城島氏自身の人生の岐路において多大な影響を及ぼした、今は亡き恩人(当時の大阪五輪推進部長)の思い出とともに、その招致活動の舞台裏が語られる(予定?)。四半世紀前、「大阪五輪」が云々されていたことは私の記憶からはとっくに消えてしまっていた。「かつて同じ人工島にまったく違う大阪の未来図を描いた人物がいたことを一人でも多くの人に伝えたい」と城島氏はしるしている。

2023年4月から11月上旬までのあいだのデータを破損・消失してしまいました。

23/03/30

「納屋を焼く」
鶴見良行私論appendix「1970年代バンコク─井上澄夫と鶴見良行」をアップしました。
●アラビア語のレッスンで村上春樹作品を読んでいくことになった。1982年初出の短編で「納屋を焼く」(『蛍・納屋を焼く・その他の短編』所収、新潮文庫、1987)という作品。「納屋を焼く」ことが趣味の男と、その彼女(「僕」の女友達でもある)と「僕」の物語。男が「僕」の近在の納屋を近日中にガソリンで焼くと言う。「僕」は自宅の周辺に点在する納屋の所在を確認(4キロ四方に16ヵ所あった)し、今か今かとジョギングがてら見回りを欠かさない。しかしいつになっても納屋が焼かれたような形跡は見当たらない。そのうち男と彼女は「僕」の前から忽然と姿を消してしまい、音信不通となる。ある日、街で男を偶然見かけて声をかける。「納屋は焼きました」と彼は答えるが、細大漏らさずにチェックしてきた「僕」はそんなはずはないと思う。しかし彼は「あまりに近すぎて見落としたんですよ」と言う。彼女の消息はわからないままである。(おしまい)─うーむ、わからない。単純に村上作品でおなじみのパラレルワールドの設定かなと思ったのだけれど、「納屋」は「女」のことで「焼く」は「殺す」ことを意味しているのだなんていう解説を目にして、へぇーそうなんだと思ったり。もう一つ奇妙なことに、米国の作家、W・フォークナーに「Barn Burning」(1938)という作品があって、日本語にすると「納屋焼き」。この村上作品には「僕はコーヒー・ルームでフォークナーの短篇集を読んでいた」という下りがあってそこから読み解く解説も目にした。しかし村上本人がフォークナーの「Barn Burning」の存在すら知らなかったと述べてその関連性を完全否定しており、後年まとめられた作品集には「僕はコーヒー・ルームで週刊誌を三冊読んだ」に修正されているらしい。単純に「納屋」を英語で「バーン」、「焼く」も「バーン」だから言葉遊びから始まったのかなとも思えるし、「刺激的で面白いもの」をbarnburnerと表現することもあるらしくそこからの着想だったか!? いずれにせよ謎の多い作品であるのだけれど、これがアラビア語に翻訳されていたということ自体、これまた不思議な感じ。

23/03/22 ●インドの大魔王こと大麻豊氏よりインド哲学の講演案内が届きました。参加ご希望の方はお早めにご予約ください。詳しくはこちらのフライヤー(PDF)まで。
・演題:飯高淑子氏「印度哲学へのいざない─人間の苦悩からの解放・ドゥッカー」
・4月29日(土)14:00〜16:00
・西天満地域福祉センター

23/03/14 ●酒造好適米として有名な高級ブランド「山田錦」。その発祥の地、兵庫県三木市吉川町で「山田錦まつり」が先週末開催されていたので出かけた。日本酒メーカー11社がそれぞれブースを出して山田錦で造った純米酒、吟醸酒を試飲させてくれる。50mlほどの小さなカップ1杯が100円〜500円。近年の日本酒は高級化路線でどちらかといえばワイン風に嗜むのが流行り。ボトルも一升瓶などではなく、四合瓶(720ml)が主流だ。テーブルの上に置いても邪魔にならないしね。聞くところによると一升瓶サイズの流通量が激減し、早晩この瓶のリサイクルシステムが成り立たなくなるかもしれないといわれている。私は昔人間なので、醸造用アルコール添加の、いわゆる「アル添」の、本醸造酒あたりの品質のものを一升瓶で買って燗酒で飲むほうが好みなのだけれど、こういう一昔前の飲用スタイルは希少になった。精米歩合の数字を競うような時代で、磨きに磨いて生まれるその吟醸香とフルーティな風味をもつ、高級な吟醸酒が人気だ。きりりと冷やしていただく。もちろんこちらも大好きです。一つ違いの従兄が小さな蔵元をやっているのだけれど、彼が家業を継ぐために東京・北区にあった国立醸造試験所(現在は東広島市に移っている)で研修を受けていたときのこと。1980年ごろだ。深夜、彼の手引きで薄暗い実験室に忍び込ませてもらった(今では考えられないほどのセキュリティですね)。そこには試験中の吟醸酒が巨大なガラス瓶に詰められて鎮座していた。その瓶から実験用の小型ビーカーに恐る恐る移し替えて失敬したその一杯は、とても日本酒とは思えない、衝撃的な味わいだった。これが日本酒か!? 「吟醸」なんて言葉も知らなかった。さっぱりした白ワインのような飲みやすさで、わが背徳的行為とも相まって、その甘美さが際だって感じられたものだ。時代はほどなくバブル経済に突入し、奢侈な世相とともに90年前後には市場でも一般的になった。あれから40年超が経過して、昨今は世に知られていない小さな蔵元の、一期一会の希少性の高い逸品がもてはやされる。その意味ではこのたびの「山田錦まつり」参加各社は、灘五郷の大手蔵元の揃い踏みで、間違いのない酒造りでいいのだけれど、ちょっと面白みに欠ける印象であった。北陸から参加されていた蔵元が1社あったので珍しさもありそちらを自家消費用に購入。希少性といえば、会場の片隅で催されていた小規模な古本市(町内のメンバーで持ち寄りましたといった風情)で、ここんところ何カ月も探していた、竹西寛子『管絃祭』を発見。函入クロス装丁の新潮社版。1978年発行。100円だった。「山田錦まつり」で最高の掘り出し物に出合えた。お酒ではなかったけれど。

23/03/02 大阪自由大学通信(3月号)をアップしました。
インドの大魔王「お笑い神話(3月号)をアップしました。

23/02/27 鶴見良行私論第Ⅳ部「ベトナムからの手紙」をアップしました。

23/02/17 ●たまたま手元にあった岩波書店のPR誌『図書』を眺めていたら「大流行による惨劇から一〇〇年」と題した、田代眞人(ウイルス学)という方による「スペイン・インフルエンザ」の記事が掲載されていた。1918年から19、20年にかけて猛威を振るった、このインフルエンザの世界的流行(スペイン風邪)では、当時の世界人口の3分の1にあたる、約20億人が感染し、死者は2千万人とも1億人ともいわれ、正確なところはわかっていない。というのも第一次世界大戦の最中で、参戦国の感染事情は秘匿され、そのため当時中立国であったスペインからの感染状況が悪目立ちしてしまい、「スペイン」というありがたくない冠がついてしまったという話をどこかで読んだ。さて、この記事で紹介されている、パンデミック下の世界大戦にまつわるいくつかのエピソードと、その後の歴史への影響を述べたくだりが興味深かった。連合国・同盟国ともに戦力の消耗は激しく(戦死者1000万人に対して参戦国のインフルエンザによる死者数はそれ以上)、「パリに迫る西部戦線では、ロシア戦線から戦力を転用したドイツ軍の最終攻撃は中止」され、「それがドイツ降伏の原因ともいわれる」。パリ講和会議では、ドイツへの賠償金請求をめぐって、強硬派のフランスと、穏健派の米国ウイルソン大統領が対立。会議中にウイルソンと英国の首相ロイド・ジョージがインフルエンザに感染してしまう。一命を取り留めたウイルソンは、「精神神経症状を呈して思考・意欲が低下し、病床でフランスによる強硬な講和条約案に無気力の状態でサインしたと伝えられている」。結果、巨額な賠償金を課されたドイツの経済は破綻し、世界はパンデミックによる労働力不足で経済復興もままならず、ほどなく大恐慌に突入してゆく。疲弊した民衆はファシズムの台頭を許し、その流れは第二次大戦へと向かい、さらにその延長線上には、アウシュビッツや、沖縄・広島・長崎などの惨事が歴史に刻まれていくこととなった、と述べる。歴史への負の刻印である。かつてヨーロッパを席巻した黒死病(ペスト)はその中世を終わらせ、近代の幕開けへと繋げたといわれる。これなどは肯定的な評価でもって捉えられるパンデミックの刻印といえるかもしれない。はたしてこのたびのコロナ・パンデミックからはどんな歴史が紡ぎだされ、そして将来どのような刻印がなされるのか……。残念ながら記事には、そうした論考はなく、コロナの「コ」の字も言及がなかった。あれれっと表紙を見直すと、それもそのはず、これは、な、なんと2019年2月号の『図書』であった。コロナ禍勃発のちょうど1年前の刊行である。記事の後段は、「スペイン・インフルエンザを超える最悪のパンデミックの発生は時間の問題」と警鐘を鳴らす、インフルエンザ学者R・ウェブスターの自伝的著書『インフルエンザ・ハンター ウイルスの秘密解明への100年』(新刊、岩波書店)の一読をすすめるものであった。「ウイルスの驚異的な存在様式、将来への教訓と問題提起」が平易に解説されている由。厚労省の関係者や、感染症対策専門家会議のみなさんは、これ、読んでくれていたかなあ?

23/02/11 鶴見良行私論第Ⅳ部「サイゴンの6日間」(1)をアップしました。

23/02/03 大阪自由大学通信(2月号)をアップしました。
インドの大魔王「お笑い神話(2月号)をアップしました。

23/01/25 ●メインにしているパソコンがついにうんともすんとも言わなくなってしまった。ここ数年起動にさいして、ふつうには立ち上がってはくれない状態にあった。いったんコンセントを抜いて、数十秒間電源を完全にシャットアウトしておいてからコンセントを挿しなおし、さらにそのまま数時間放置させたのち、おもむろに電源ボタンを押すと立ち上がってくれた。すでにかなりいかれていたのである。それがまったくの無反応になってしまったのだ。ついに来てしまった! 幸い、同じOS環境の機械をほかに2台用意していたので急場はしのげる。だけどメイン機に比べると、サクサクした動きに欠けるところがあって、作業効率がぐんと落ちてしまう。ストレスフルである。悩みに悩んだすえ、PC店の修理窓口に持ち込んだ。2002年発売のPowerMac G4(MDD)だから20年以上使ってきたことになる。当然使われている部品やユニットの製造はとっくの昔に終了しており、中古機から部品どりしたものを組み込むしかない。Win関係の修理費用は明細ごとに掲示されていて明朗会計だが、Apple社製にかんしては応相談というやつ。部品にしても時価となっていて、言い値を受け入れざるを得ない。結局、電源ユニットを交換し、2枚装備していたハードディスク(HDD)も交換となった。HDDの一つはパーティションを切って2区画にOSをそれぞれインストールしていたのであるがそれもそのまま復元。ほか筐体内の積もりに積もった20年間の埃をきれいに落としてもらい、データもアプリも完全移行してもらった。新品の小さなコンピュータが買えるくらいの費用になってしまったが、よみがえってくれた機械を前にして喜びのほうが大きい。この環境でないと、DTP関連のソフトや周辺機器が動いてくれないのだから仕方ないのだ。お店の女性が「これからも長く使えますよ」と送り出してくれた。さらにもう20年行けるであろうか。いやいやこっちの寿命を心配しなきゃならないな。

23/01/19 近著探訪第55回『天路の旅人』をアップしました。

23/01/07 大阪自由大学通信(1月号)をアップしました。
インドの大魔王「お笑い神話(1月号)をアップしました。

23/01/02
●あけましておめでとうございます。本年もおつき合いのほどよろしくお願い申しあげます。
●アラビア語のレッスンで昨夏より読み始めたガッサーン・カナファーニーの「オレンジの大地」も昨年末でようやく最終の数行を残すのみとなった。日本語版にしてわずか8頁ほどの短編を半年かけて読んできたことになる。発見だったのは、あちらの文章の特徴なのか、ひとつの文が何行にもわたってとてつもなく長いことだ。日本語だったらそこに三つ四つの句点を入れるべしと指導が入りそうなほど。文章のあとをカンマで区切って、そのあとに分詞構文で状況説明文をいくつもいくつも連ねていく。訳しているうちにもともとの主節が遠くにかすんでしまって、言いたかったことはなんだったの?ってな具合になってしまう。贅肉を削ぎ落とし簡潔を旨とする日本語とは真逆の、デコラティブで過剰で粘着性の文章が名文と賞されるのだろうか。先生によると、フランス語もそのような傾向があって、「ル・モンド紙」の記事なども一文がくねくねとしてとても長いそうだ。そのことがインテリの文章として評価される由。ユーラシア大陸の西のほうではそういった文章が好まれるのかな。湯川豊『須賀敦子を読む』(新潮文庫、2011)に、須賀の「息が長く、ゆったりしている」文章についてこう評する下りがあった。「過去という思念の中に分け入っていくのに、読点を多用して記憶をまさぐるようにどこまでも折れ曲がっていくこうした文章がふさわしい、(略)プルーストの大長編で私たちはそのことを知っている」と。須賀は31歳(1960)から41歳(1970)までのおよそ10年間をイタリアで生活し、後年60歳を過ぎて、30年以上前のイタリア時代のことを回想する作品を次々と発表して作家となった。「読点を多用して」「どこまでも折れ曲がっていく」文章スタイルが遠い昔の記憶をしるす内容にかなっていると評価するのだけれど、おそらくは、イタリア語の文章スタイルからの影響ではないかしら。プルーストだってフランス語ゆえのことではないのかなと思うのだが。

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