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15/12/23


オベーセーカラ著
言叢社
「大魔王のお笑い神話(12月号)」をアップしました。
●奈良・東大寺の大仏さんの螺髪(らほつ)の数が、これまで定説となっていた966個ではなく、レーザー光を使って調べたところ、492個だったという報道があった(12月3日)。螺髪というのは、今風に言えばパンチパーマであるが、巻き貝の形状を表現する言葉が「螺」ということからそう呼ばれているらしい。じつは今ごろになって「ああ、螺髪はメドゥーサの髪のことだったのかもしれない」と思ったのだ。小舎刊『スリランカ学の冒険』(庄野護著)の「巫女の心理人類学」という章で、スリランカ生まれの人類学者オベーセーカラの『メドゥーサの髪』という本を取り上げている。ここでいう「メドゥーサの髪」とは「もつれ髪」のこと。ヒンドゥー教徒・仏教徒ともに巡礼する聖地カタラガマにおいて、女性苦行者がカーワーディ踊り(髪を振り乱して激しくトランス状態で踊る)を神に奉納する。すると「神のお告げ」とともに「もつれ髪」を授かる。シンハラ語で「ヘダ・パル」。「美しい印」という意味らしい。南アジアではもつれ髪が祝福された存在であるという事実に刊行当時すこし違和を覚えていたのだが、この記事を目にして数十年ぶりに思い当たったのです。大仏さんも「もつれ髪」だったのだ。

15/12/10
大阪自由大学通信12月号が届きました。
近著探訪第38回『世界の辺境とハードボイルド室町時代』をアップしました。

15/11/23


くさか基金
「大魔王のお笑い神話(11月号)」が届きました。
●9日、庄野護氏主催の「スリランカ料理の会」が大阪・阿波座で催された。今回は「シーギリヤ」というお店。ゲストはスリランカに30年以上かかわっている「くさか基金」の日下ご夫妻。偶然にもお店のウエイターがその昔、日下宅にホームステイしていたシンハラ青年であった。シンハラの民話7本を収録した著書『ともだち その他 シンハラの話』(くさか基金・シンハラ語と日本語を併記)をいただく。
●21日岡山県の蒜山(ひるぜん)へ向かった。天候は曇り。蒜山三座のうちの下蒜山(1100m)に登る。犬挟(いぬばさり)峠登山口から。登山道がぬかるんでおり難儀するが1時間半ほどで頂上へ。あいにくガスで視界不良。しかし途中の雲居平あたりの一面熊笹に覆われた山肌のうねりがなんとも美しい。ちょうど剣山や三嶺あたりの風景に似ている。それにしても3連休初日なのに人出が少ないのに驚いた。天候がすっきりしないからか、晩秋の肌寒さゆえのことか。20年すこし前、蒜山高原を訪ねたときは、おみやげ物センターやら遊園地などの施設へ次々入ってくる車でごったがえしていたものだが。名物のジンギスカン料理店も閑散としていた。

15/11/05
大阪自由大学通信11月号が届きました。
●鹿児島在住の写真家・松元省平氏の写真展「今夜も庭に、星が降る」のご案内。お近くの方はぜひお訪ねください。

15/10/25


森の宮群落

いま、文学の森へ

まぼろしの大阪
●今月12日、松岡昭宏氏が亡くなった。大阪編集教室代表の藤田さんと、元毎日新聞の佐竹氏、編集者の田中氏の4人で遅ればせながらご自宅(橿原)へお悔やみに行ってきた。大阪の文学を語るに松岡昭宏抜きには語り得ない。1954年7月、その年の3月に立ち上げた「大阪詩の教室」を核に「大阪文学学校」を創設した人物である。「大阪市阿倍野区昭和町にある小野さんの家に紹介状もなしに訪ねた。五三年十二月、あるいは五四年一月であったかもしれない」(『森の宮群落』松岡昭宏・本の研究会・2003年)。松岡昭宏の、文学の学校をつくりたいという情熱が、小野十三郎を校長(講師)として担ぎ出す。これまで芥川賞作家を何人も輩出し、今では「文校(ぶんこう)」の名で全国にもその存在を知られるようになっている。おそらくは文学を学ぶ学校としては日本で唯一のものだと思う。しばしば松岡昭宏が大阪文学学校の「発起人」であったという紹介のされ方を見るのだが、すこし違和を覚える。たしかに発起人ではあるが、そもそもは、松岡昭宏という、当時26歳の、たった一人の青年の、熱い想いから始まったものである。初期の文校は松岡そのものであったにちがいない。しかし創設以来、事務局長として奮闘してきた松岡は1974年7月に学校を去る。このあたりの事情はその著『森の宮群落』にもほとんど触れられていないし、大阪文学学校50周年を記念して出された『いま、文学の森へ』(葦書房)を読んでも隔靴掻痒である。本人もほとんど語っていない。さて、その後、1976年に大阪編集教室をつくる。こちらは文学ではなく、編集者・ライターを養成する学校である。私は1983-84年、この教室で学んだ受講生の一人だ。2002年4月、高齢(75歳)のため教室代表を退任。そのあと同年5月から2012年4月までの10年間を私が担当し、その後、藤田氏が引き継いで今に至る。私が教室在任中、こんなことがあった。『まぼろしの大阪』(坪内祐三・ぴあ・2004年)という本に坪内氏と谷沢永一氏の対談が収録されているのだが、その中で谷沢氏が「まあ、僕は文学と学校とは、関係しないもんだと思っているからねぇ(笑)。亡くなりましたけど、松岡(昭宏)くんというのが献身的に努力して。(略)」。おいおい、ええかげんなこと書いて、まだ生きてまっせ! 事実誤認よりも、書かれている内容や前後のトーンがいやな感じで不快だった。そんなこともあり、この本の悪口をいろんなところで吹聴していたら、当時の編集長が虎屋の羊羹を持ってお詫びにこられた(たぶん小堀純氏の「差し金」によるものと思う)。あれから10数年が経過した。享年88歳。ご冥福をお祈りします。

15/10/04
「大魔王のお笑い神話(10月号)」が届きました。
大阪自由大学通信10月号が届きました。
●先週日曜日、ついに六甲最高峰(931m)を制覇した(大げさっ!)。午前9時30分、阪急芦屋川駅から歩き始める。芦屋川沿いに住宅街を抜け、高座ノ滝からロックガーデン、風吹岩へ。ここまではちょうど1年前に体験した。そこから北に連なる山々に向かって、雨ケ峠、七曲りを経て六甲最高峰へ。そこでお昼のお弁当を食べて、有馬温泉のほうへ下っていく。午後3時半、温泉街に到着。不健康な日々を送ってきた体に鞭を打ちながら山登りを始めて1年ちょっと。いやあここまで進歩したのだ。うれしい。登山道から温泉街へ入る手前で作務衣を着たおっちゃんが「太閤の湯」の割引券を配っていた。ありがたくいただいて、ひとっ風呂浴びる。そのあと今風のオープンテラスのバールで生ビールをぐいぐい、がぶがぶ。ああ、しあわせ。帰りは神戸電鉄有馬温泉駅から。車窓からちらちら顔をのぞかせるスーパームーンをほろ酔い気分で愛でながら帰ったのでございます。

15/09/06
大阪自由大学通信9月号が届きました。

15/08/30
「大魔王のお笑い神話(9月号)」が届きました。
●昨日、滋賀と岐阜の県境にそびえる伊吹山(1377m)に登ってきた。「登ってきた」なんてエラソーに書いたが、9合目まで整備されたドライブウェイを利用したので歩いたのはわずか1合分だけ。駐車場からゆるやかな登山道(というより散策道)を歩くこと40分で頂上に。ガスがかなりかかっている。晴れていれば360度の大パノラマが望めるのだが残念。もともとの計画は麓の登山口から一歩ずつ登る予定であったが、天候が下り坂だったので初心者としては安全第一を心がけた次第。だけどさすがに1合分だけではもの足りず、駐車場と頂上を2往復した。

15/08/12
●小舎刊『南方特別留学生ラザクの「戦後」』(宇高雄志著)の、アブドゥル・ラザクさんの被爆体験とその生涯をマレー語で記した本『Razak Sensei』(ラザク先生)がマレーシアで刊行されました。広島の原爆投下の日にちに合わせた8月6日、マレーシアのタンジュン・マリム市にあるスルタン・イドリス大学で出版記念式典が開催された模様です。式典の様子は、広島大学「国際センター」のお知らせコーナーに掲載されていますのでリンクします。

15/08/08
●今日は暦の上では立秋であるが、相変わらず殺人的な猛暑が続いている。休日ともなれば屋内に閉じこもってひたすらじっとしている。昨秋から始めた山歩きもしばしお休み。「夏山」と呼ばれるような、信州あたりの数千メートル級の山々であればさわやかであろうが、近辺の数百メートルの低山専門ではたちまちのうちに熱中症になること間違いない。かわりに早朝ウオーキングに精を出している。午前5時過ぎから歩き出す。太陽が顔を出すまでの小1時間、距離にして5キロほど歩くと怒濤の汗が流れ出す。じつはコレステロール値が異常になっていることもあってかなり真剣に歩いているのだ。「悪玉」といわれるほうの数値が190mg/dl(ちなみに正常値は70〜120mg/dl)。お医者さんによれば、薬物療法しないといけない数値らしい。しかしいったん薬を飲み始めると、この先ずーっと飲み続けないといけなくなるにちがいない。薬漬けの老後である。できれば飲みたくない。「この数値で薬を出さない医者なんて、アメリカだったら訴えられるんやから。それほど高いってことよ」と先生から強く薬をすすめられるのだが(実際、過日処方箋を手渡されたのだが、薬はもらわずに帰ってきてしまった)。ともあれ、自力で治すという固い決意のもと、毎朝歩いているわけである。数カ月後には正常値に戻してやるぞ!

15/08/03
「大魔王のお笑い神話(8月号)」が届きました。

15/07/31
●「インドの大魔王」こと大麻豊氏の講演会が予定されています。8月2日(日)と、9月6日(日)、京都で。詳しくはこちらの案内まで。
大阪自由大学通信8月号が届きました。

15/07/04
大阪自由大学通信7月号が届きました。

15/06/20

●このたび『救い主イエスの顔した神さま』(種谷俊一著)という本を刊行した。著者の種谷牧師は「牧会権裁判」の被告として1970年から足かけ5年、裁判闘争をしてきた方である。当時学園紛争が至るところで繰り広げられ、大学のみならず一部の高校にも飛び火していた。兵庫県立尼崎高校もその一つであった。生徒2名がバリケードを学内に築き、火炎ビンを準備するなどで捜査対象になるのだが、その2人の少年を尼崎教会に赴任していた種谷牧師が匿う。そして知人の教会(兵庫県たつの市)に預けて、そこで簡単な仕事などを手伝わせながら「祈って働く」ことを通じて少年の更正を図った。その行為が犯人蔵匿の罪に問われることとなる。裁判では、牧師が生徒に対して行なったこの一連の行為は犯罪なのか、あるいは牧師としての職務であったのかが争われたのだ。判決は「被告人の本件牧会活動は手段方法においても相当であったのであり、むしろ両少年に対する宗教家としての献身は称賛されるべきであった」と結ばれ、無罪を言い渡される。くわしくは「牧会活動事件」として判決の全文(神戸簡易裁判所)が掲載されているので参照ください。裁判の軌跡が一冊の本にもまとめられているので興味のある方は『国権と良心』(種谷牧師裁判を支援する会・新教出版社)を読んでみてください。さてさて、その種谷牧師と最初の打ち合わせでお会いしたときのこと。ひと通りの確認事項も終え、雑談の場で、種谷牧師が私の高校の大先輩であることがわかった。氏の在学時期は戦中であるので旧制中学時代である。「へえー、そうでしたか」と大大先輩に親しみを覚えた次第であったのだが、ひょっとしたら亡父と同級かもしれないと父の名前を告げた。親父も同じ学校であったし、昭和2年生まれで牧師と同じである。親父のフルネームをゆっくりと口にされたあと、「あっ…、級長でした」「よく勉強ができました」(在学中1番であったことは祖母からよく聞かされたものだ)と呟かれた。「○○先生とあなたのお父さんと私で校内にあった畑で作業しているシーンを今鮮やかに思い出しました」と述べられた。一気に70年の時を飛び越えて、親父の若かりし生真面目な学帽姿が、見たこともないのに、くっきりと私にも見えた気がした。

15/06/06


創刊号〜10号
大阪自由大学通信6月号が届きました。
●先月、大学時代の、35年ぶりの同窓会(25人中23人が参加)があった。卒業後の10年ほどは結婚などのイベントで何かと会う機会もあったが、そうした時期も過ぎると疎遠にもなり、ごくごく一部で数年に一度杯を交わす程度。とくに女の子の場合はほとんどが音信不通のまま正味35年ぶりの再会となった。男女とも等しく非情な経年劣化に襲われていたが、飲んだくれて騒いでいるその立ち居振る舞いは、既視感たっぷりの、愛おしく思えるほどに何も変わっていなかった。一泊して翌朝、いまはもう移転してしまって当時の面影をほとんどなくしてしまっているキャンパス周辺を歩いた。下手な麻雀を打っていた、行きつけの雀荘(ああ昭和ですね!)の前にあった、当時は50過ぎのお母さんと20代後半の娘さんが切り盛りしていたお好み焼き屋さん。35年の時を経て、80半ばのおばあさんと、60過ぎのおばちゃんの店になって、メニューも変わりなく、そのままの店構えで健在であった。いやはや、お元気で、お懐かしゅうございますと手を握り合いたいほど。失われし時を求めた、センチメンタルな5月であった。そうそう、「本の雑誌」(創刊号〜10号)の復刊があったので、よけいに、なんだかここんところ気持ちはぐぐっと70年代半ばから80年前半に居ついてしまっている。私の所持するもっとも古い号は13号。今では買うこともなくなってしまった「本の雑誌」ではあるが、そしておそらくはもう熱心な読者に戻れるほどのエネルギーも持ち合わせていないけれど、懐古趣味に陥ってしまっている私は、アマゾンでこの「創刊40周年記念 完全復刻版BOXセット」本体5000円を買ってしまった。「幻」の創刊号は昭和51年5月10日発行。あのころ、本も、雑誌も、そして私も、元気な時代であった。
 ……とここまで書いて翌日にまわしていたら、先述した同窓会に参加できなかった闘病中のOくんの訃報が届いた。「おる?」と、すこし高くて猫のような声でわが下宿をしばしば訪ねてきていたOくんの、なんでもない一コマ一コマが思い出されてつらい。あの共有する原色の記憶をいかようにでも更新して、それを肴にこれから何度でも笑い転げ合いたかったのに、そんな些細な楽しみもかなわなくなってしまった。明日、告別式。早朝の新幹線に乗って、最後の別れをしてこよう。合掌。

15/05/06
「大魔王のお笑い神話(5月号)」が届きました。
大阪自由大学通信5月号が届きました。
●4日午前6時、徳島県の剣山(標高1950m)を目指した。よりによってこの連休中、4日のみが雨。ふだんからほとんど信用していない天気予報であるが、このたびは運悪く当たってしまった。終日「雨時々曇り」の予想。しかし、数カ月前から計画していたことでもありあきらめきれない。ひょっとしたら到着する頃には雨もあがるんじゃないかと一縷の望みをかけて出かけたのだ。けれど、淡路島に渡ってからは雨の勢いは増すばかり。ほぼ絶望的になりかけたのだが、徳島自動車道の美馬I.C.を下りる頃には曇天の隙間から一条の光が差し込んだ。午前11時、見ノ越登山口に到着。ほんのわずかな霧雨を感じるが、ほぼ雨はあがっている。登山開始。山頂に着く頃には青空が広がった。剣山(太郎笈)から次郎笈にかけてのベルベット状の山肌のたたずまいが日の光を受けてなんとも美しい。
●翌5日は「スリランカ料理を楽しむ会」(スリランカレストラン「マータラ」徳島市)へ。9名が参加。ここの料理は、スリランカ滞在歴が何年にもわたる参加者(2名)のお墨付きである。来年も計画されています。詳細また案内します。

15/04/20

アールイー刊
●過日、アールイーの新井さんが来阪。JR大阪環状線福島駅近くのスリランカ料理店「ワーサナ」で久闊を叙す。ここのカレーはいかにもスリランカローカルっぽくて私は大好きである。香辛料のインパクトか、ワーサナで食事した翌朝は、まず間違いなく、感動的なまでのお通じが約束されるのである。ご主人は徳島のスリランカ料理店「マータラ」オーナーの同僚であるとか(5月5日、こちら徳島で「スリランカ料理を楽しむ会」を挙行します。1月31日の本欄を参照ください)。「同僚」というのは、大阪花博(1990年)でともにスリランカを代表して来日したシェフ仲間である由。さて、アールイーさんから新刊をいただいた。スリランカのガイドブック『Beyond the Holiday スリランカ』改訂版。スリランカを目指す人はぜひお手元に。
旧著探訪第26回『民族と国家』をアップしました。
●写真家松元省平氏の新しいサイト「星が降る」をリンクします。

15/04/04
●トラベルミトラの大麻さんより「大魔王のお笑い神話(4月号)」が届きました。
大阪自由大学通信4月号が届きました。

15/03/22
近著探訪第37回『イスラーム 生と死と聖戦』をアップしました。
●大阪編集教室第76期生募集中です。来たる4月18日開講。詳しくはこちらのオフィシャルサイトまで。

15/03/04

●トラベルミトラの大麻さんより「大魔王のお笑い神話(3月号)」が届きました。
大阪自由大学通信3月号が届きました。
●先月末、「もうひとりの息子」という映画を見た。民族学博物館主催の「みんぱくワールドシネマ」シリーズのひとつ。いわゆる新生児取り違え事故を扱った物語である。2013年カンヌ映画祭で審査員賞を受賞した日本映画「そして父になる」も「取り違え」物語だ。福山雅治演ずるエリート一家の父親と、リリー・フランキー扮する電気屋のご主人とのあいだで繰り広げられる。「取り違え」はこれまでも小説やテレビドラマで何度も使われた、お馴染みのモチーフであるが、このたびの「取り違え」は、パレスチナのアラブ人一家と、イスラエルのユダヤ人一家のあいだで引き起こされた舞台設定で興味深い。憎悪・敵対する民族同士がどう現実を受け入れ、未来を築いていくのか、ひさしぶりにしっとりするいい映画だった。映画のあとは、パレスチナ、イスラエルをフィールドにされている、みんぱくの菅瀬晶子助教による手際よい解説も勉強になった。この「みんぱくワールドシネマ」は、万博公園への入場券のみで、専門家のレクチャー付き映画鑑賞できるお得な催しです。定員450名であったがほぼ満席であった。

15/02/16
●トラベルミトラの大麻さんより「大魔王のお笑い神話(2月号)」が届きました。
●昨日は、奈良・大阪にまたがる二上山(にじょうざん・ふたかみやま)に登ってきた。名前の通り、ふたこぶラクダのようなかたちをしている。それぞれ雄岳、雌岳と呼ばれ、ともに500メートル前後の標高である。五木寛之著『風の王国』(旧著探訪25)の舞台となったところ。登場人物のサンカ(山窩)たちのふるさととして描かれる。奈良県葛城市側から雄岳経由でゆっくり登って、雌岳頂上まで1時間半ほどである。ちょうどお昼の時間帯で頂上には50人近くの登山客がお弁当を広げていた。残念ながら予報どおりPM2.5がかなり飛来しているようで、大阪側・奈良側ともに霞がかかったようで視界不良であった。

15/01/31
●トラベルミトラの大麻さんより「大魔王のお笑い神話(1月号)」が届きました。ぎりぎり1月に間に合ってよかった。
●今年も「スリランカ料理を楽しむ会 in 徳島」が決行されます。日程はまだ先の話ですが、連休中、格別の予定はない!という方はぜひどうぞ。自由参加で、申込などは不要です。集まって、ただカレーを味わうといったもの。お気軽にお越しください。
・場所:スリランカレストラン「マータラ」
 徳島市城東町2-1-31(城東大橋西詰北側)電話088-678-6937
・日時:5月5日(火・祝)11時45分〜13時30分

15/01/25
●遅ればせながら本年もどうぞよろしくお願いいたします。激動の幕開けとなりました。「シャルリー」「人質事件」とめまぐるしくイスラームをめぐるニュースが飛び交っている。とくに「人質事件」は私たち日本人に突きつけられた問題でもあります。国際政治の舞台で日本の立ち位置はどうあるべきなのか、私たち日本人がどう世界とつきあっていくべきなのか、今一度きちんと整理する機会になると考えます。

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