ガザとは何か ■岡 真理 著・大和書房・2023年■

  21世紀のジェノサイドとアパルトヘイト(1)




ガザとは何か
岡 真理 著
大和書房・2023年



中東問題再考
飯山 陽 著
扶桑社新書・2022年


イスラム報道
エドワード・W・サイード著
浅井信雄・佐藤成文 訳
みすず書房・1986年
 2024年1月号の月刊PR誌『ちくま』(筑摩書房)誌上の「世の中ラボ」(斎藤美奈子)は「一から学ぶイスラエルとパレスチナ」であった。このコーナーは書評家の斎藤美奈子氏が毎月時宜を得たテーマで関連書3冊を選んで紹介・批評していくもの(ちなみに2月号のお題は「大阪万博」だ)。
 昨年10月7日にパレスチナ自治区ガザを「実効支配」するイスラム組織ハマスがイスラエルを奇襲攻撃した。その報復としてイスラエルがガザを空爆、のちに地上戦へと突入した。ニュース映像で見るかぎり、ガザの市街地は徹底的に破壊しつくされ瓦礫の山と化し、その被害は甚大なものとなっている。民間人の死傷者も膨大だ。人口が約200万人のガザ地区で死者数は2万5千人(2024年1月21日)を超えている。その7割が女性と子どもであるとも伝えられている。「この戦争は完全勝利という目標達成までやめない」。イスラエルのネタニヤフ首相の、2月5日の弁である(日経2024.2.7)。今のところ戦火が止む兆しは全くうかがえない。
 そこで、「パレスチナ問題」とは何であるのか──をあらためて考えるための3冊の入門書が俎上にあげられている。
『イスラエル──人類史上最もやっかいな問題』(ダニエル・ソカッチ、NHK出版)と、『パレスチナ問題の展開』(高橋和夫、左右社)、そして『中東問題再考』(飯山陽、扶桑社新書)である。どれもここ数年内に刊行されたものだ。1冊目、2冊目はおおむね高評価であるが、最後の1冊、飯山陽『中東問題再考』は「左翼批判を目的とした逆張り本で読む価値はない」と手厳しい。じつは私の手元にあるのが唯一この飯山本である。たしかに近年の飯山氏の言動は、「イスラム学者(研究者)」の肩書きでありながら、活動家かアジテーターの域に足を踏み入れられてしまった感があり、斎藤氏の「逆張り本」との断定には肯んじざるを得ない。これまで何冊かの著作は読んできたし、当ホームページでも取り上げたこともある。その一冊『イスラム2.0』(河出新書、2019年)は、ネット社会下でのイスラムの変容を読み解いた興味深い内容であったし、初期の『エジプトの空の下』(晶文社)なんて素敵な本もあったのだ。
 ともあれ、「パレスチナ問題」に戻すと、今に至るその問題の発生起源をどこに置くか、何を起点にして語り出すべきなのかは大切なポイントであるように思う。はるか古代ローマ時代のユダヤ人のディアスポラ(民族離散)にまで遡るべきなのか、19世紀末に起こったシオニズム(ユダヤ人国家建設)運動から始めるべきか、第一次世界大戦後の英国による、いわゆる「三枚舌外交」から語り出すべきなのか。あるいは1947年のイスラエル独立を起点にするのか、その翌年に吹き荒れたパレスチナ人に対する集団虐殺(ナクバ=大災厄)からか。それとも1993年のオスロ合意に求めるのか、いやいや昨年の10月7日のハマスによる奇襲攻撃からなのか。さすがに10月7日はありえないと思うが、それでもこの「奇襲」から始めてこれまでの歴史的文脈を全く無視した解説を耳にすることは意外と多い。先に攻撃したのはハマスのほうで、ゆえにイスラエルは自衛のための軍事行動をとっているのだなんてふうなことを言う人がいたりする。過日朝日放送テレビ「正義のミカタ」という番組ではジャーナリストの大高未貴氏がガザ沖合の巨大な天然ガス田の利権争いに落とし込んで、それ以外の歴史的事実を打ち遣って解説していたが、これだとガス田が発見された1999年が起点となりそうだ。
 さきほどの飯山本では、1947年に採択された国連決議181号の「パレスチナ分割決議」から語り始める(第5章「パレスチナ=善、イスラエル=悪」の先入観が隠す事実)。この決議はパレスチナの地をユダヤ国家、アラブ国家に分割して両国が共存していくというもの。この分割決議に対して「ユダヤ人の国などあってはならないと共存を拒否したのがアラブ人であることは重要です」と述べる。こうした緒言から導かれるその後の筋書きは当然、「非」はアラブにありという展開である。飯山本の刊行は2022年であるので、このたびのイスラエルによるガザ侵攻にまで言及しているわけではないが、昨今の飯山氏の諸々の発言から想像すると、現下の事態もその文脈上に置かれることになるであろう。
 さて、飯山本とは対蹠的な視点からの1冊を取り上げたい。現代アラブ文学を専門とする岡真理氏による『ガザとは何か』(大和書房、2023年)。「10月7日」以降の事態をふまえて緊急出版されたもの。第1部が京都大学での講演(10月20日)をもとにしたもので、第2部は早稲田大学での講演(10月23日)からである。副題が「パレスチナを知るための緊急講義」とある。非常にわかりやすく整理されており、斎藤氏のコラム執筆時に本書が刊行されていれば間違いなく加えられていただろう。
 本書で著者が大前提とするのは、まずは、現在進行中の事態はイスラエル国家によるパレスチナ人に対するジェノサイド(民族浄化を目的とした大量虐殺)にほかならないということだ。病院であろうが、学校であろうが、礼拝堂であろうが、お構いなしの無差別な攻撃によって一般市民への殺戮が日々行われている。この21世紀において全くもって常軌を逸した残虐行為である。しかもガザ地区は完全封鎖されて逃げ出すこともできず、まるで兵糧攻めのようなありさまで、食料や水が圧倒的に欠乏し住民たちは飢餓状態に陥りつつある。医薬品もままならず、負傷者の手術が麻酔薬なしで行なわれているとも伝わる。パレスチナ人の殲滅を企図した蛮行以外の何ものでもないが、そうした視点からの報道はほとんどなされていない。いま私たちが目の当たりにしているのはジェノサイドそのものであるという認識をまずは共有しておきたい。
 著者の岡は、報道記事中にしばしば見られる「暴力の連鎖」「憎しみの連鎖」といった表現をとる報道自体を「犯罪的だ」と強調する。こうした言葉から導かれる「どっちもどっち」とわかったような気にさせる、そうした納得のさせ方を断固拒絶する。つまりそれは、本書「はじめに」でも言及されているが、エドワード・サイードが「イスラム報道」と呼んだ、「報道によってむしろ真実を歪曲、隠蔽する」という姿勢に他ならないということだ(サイードはその著『カバーリング・イスラーム(原題)』のカバーリングという言葉に「報道すること」と「覆い隠すこと」の二重の意味を持たせている。邦訳は『イスラム報道』みすず書房、1986年)。
 もう一つ、著者がパレスチナ問題を考えるにあたって大前提としていることは、「イスラエルという国家が入植者による植民国家であり、パレスチナ人に対するアパルトヘイト国家(特定の人種の至上主義に基づく、人種差別を基盤とする国家)である」という事実だ。この視点は言われてみてはじめて気づかされた。南アフリカのアパルトヘイト廃絶に身を投じてきたネルソン・マンデラ(1918-2013)は「我々の自由はパレスチナ人の自由なくしては不完全である」と述べ、一貫してパレスチナ側を支持してきた。このたびのガザ侵攻にさいしては、南ア政府は国際司法裁判所(ICJ)にイスラエルのジェノサイドを提訴し、過日(1月26日)ICJはジェノサイドを防ぐ「すべての措置」をとることをイスラエル政府に命じた。イスラエルのネタニヤフ首相はその判断を歯牙にもかけず「イスラエルには自衛権がある。ジェノサイドの疑いをかけるのは言語道断だ」との声明を出している(日経2024.1.27)。
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