●「なぜ」の問い───────ラオスにないもの【2】

早朝の托鉢

屋台

クンズカフェ
 ビエンチャン市内の喫茶店でラオス人と夕方5時に待ち合わせをしたとする。彼(あるいは、彼女)が自宅を出発するのが、5時を過ぎてからである。それが、普通である。勿論、これはたとえ話である。約束の時間を守れるラオス人は、たまにはいる。すべてのラオス人が時間にルーズであるはずもない。彼(あるいは彼女)が約束の時間に2時間遅れで現れたとしても、来れば問題なしとしなければならない。
 問題は、待つ側に発生する。人を待たせることは、何の問題もない国なのだから、待つ側の人が、遅れてきた人に「なぜ遅れてきたか?」を問うてはならないのである。「なぜ?」の質問を発した場合も、挨拶程度の意味合いであれば問題はない。しかし、遅れてきたことを非難するような「なぜ?」であれば、問うた人が問題となる。
 遅れてきた人を批判するような社会的慣習は、ラオスには存在しない。社会的に「ない慣習」にさからうことは、反社会的な行為である。したがって、遅刻してきた人を非難する「なぜ?」は、非難する側の問題として認知される。
 会社や学校での行事の日程のめまぐるしい変更。そして非通知。「今日は、これから会議です」というような突然の通告。それらは日常である。そして、それらのことに、「なぜ?」という問いはタブーである。「社会主義だから」という理由付けは、考えすぎである。社会主義であってもなくても、ラオス社会とは直接には関係ない事柄である。
 もし、会議日程の変更に「なぜ?」と聞いて回る人がいたら、その人にはもう会議の日程は伝わってこないかもしれない。
 地球上で人間が「なぜ?」の問いを発するようになってから、年月はそれほどたってはいない。1000年前には、「なぜ?」という問いは日本にもほとんどなかった。ギリシャやローマには1000年以上前からあったかもしれないが、現在のような「なぜ?」ではなかった。ギリシャでは、一部の哲学を職業とする人々だけが、職業的な「なぜ?」を発した。
「なぜ?」と問うこと。これは、近代になっての思考文化である。近代という時代は、存在理由のないものは存在しえないというやっかいな時代なのだ。「なぜ?」の理由に答えられないものは、存在が否定されるのである。「なぜ?」と発問し、それに答えを用意することが近代の生き方である。ありとあらゆることに「なぜ?」と問い、答えようとする。それが、近代の生き方である。ラオス人の多くは、そんな「なぜ?」をもたない。
「なぜ?」のないラオスの暮らし。それは、欧米人や一部の日本人が信仰する近代の思考がまだ普及していない場所と時間の存在を意味する。
「なぜ?」が嫌いな人は、ラオスに来て暮らすとよいかもしれない。実際、ビエンチャンに長年住んでいる日本人たちは、そんな人々のようだ。

【著者紹介】庄野護(しょうの・まもる)
1950年徳島生まれ。中央大学中退。アジア各地への放浪と定住を繰り返し、文化・言語の研究を続ける。タイ、ベトナム、インドネシア、バングラデシュ、スリランカ、パプアニューギニア、ケニアなど、アジア・アフリカでの活動歴は40年、滞在歴は20年ちかくになる。多様なフィールド体験に裏うちされた独自の視点をもつアジア研究者である。著書に『国際協力のフィールドワーク』『スリランカ学の冒険』『パプアニューギニア断章』(南船北馬舎)、『学び・未来・NGO NGOに携わるとは何か』(共著・新評論)。現在、ビエンチャン在住。

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