旧著探訪 (30)

  海のラクダ 木造帆船ダウ同乗記     ■門田 修著・中公文庫・1998年■ 
海のラクダ
「砂漠の船」という言い方を知った。ラクダのこと(『大辞泉』小学館)をいうそうだ。遠隔地の珍奇品、特産品などの荷をラクダに乗せてアラビアの荒涼たる砂漠を行くキャラバン。砂漠を大海に見立て、そこを連なって進みゆくラクダの群れを船団に見立てた言い方のようだ。
 本書は『海のラクダ』とある。こちらは、交易品を満載してアラビアの海に繰り出すダウ船をラクダに見立てた。ダウ船とは、木造の帆船を一般に総称するらしい。おもに紅海、アラビア海、インド洋の大海原がその活躍の場だ。三角帆を高くかかげて、アフリカの東海岸、アラビア、インド、中国と広域に荷を運んだ。まさに「船乗りシンドバッドの冒険」の世界である。そもそも中世アラブの船乗りの自慢話が「シンドバッドの冒険」のもとになったとか。
 ダウ船は数千年の歴史を誇る。アラビア半島南端を支配していた、シバの女王で有名なシバ王国は、そのダウ船で紀元前千数百年前、遠くインドや中国から地中海世界へと結ぶ海上貿易を独占し、巨万の富を築いた。
 ダウ船による環インド洋交易圏、別名「海のシルクロード」が形成されたのは、この地域を吹く季節風(モンスーン)をうまく利用する知恵にあった。4月から5月に吹く南西の風に乗ってインド方面へ船を出し、10月から3月にかけて吹く北東の風に乗ってアフリカ東海岸へ向かった。モンスーンという言葉自体が「モウシム」というアラビア語に由来するそうだ。
 この季節風のことには、シバの人たちは長く箝口令を敷いていたらしい。中国の絹や香木、インドの香料などもその原産地を秘密にしてあたかも自国産のごとく地中海方面へ高く売りつけていたという。かの地でとれる乳香もその採取地はトップシークレットであった。したたかな商人魂である。こうして栄華を誇ったシバ王国は「ハッピーアラビア(アラビア・フェリックス)」と賞賛されるわけであるが、やがて季節風の存在が広く世に知られてしまう。紀元1世紀ごろ、ヒッパロスというギリシア人の船乗りがその風を「発見」してしまったことで、ハッピーアラビアの神秘のベールは少しずつはぎ取られ、ついには斜陽の道へと転落してゆく。
 しかし、ダウ船は現代の世にも生きていている。さすがに「ヒッパロスの風」だけを頼りに航海することはなくエンジン付きになってはいるが、季節風の風向きかげんにもとづいて今も航行計画はたてられる。本書に紹介されている、ケニアのモンバサ港でのダウ船の出入り調査によると、季節風とともにやってきて、季節風とともに去っていくダウ船の動向がはっきりと数字にあらわれている。季節に逆らった航海も、海が荒れる夏場の航海も、やはり避けられているようだ。
 本書の著者も季節を選びながら出航するダウ船を探し求めて航海する。モンバサからドバイへ、そしてドバイからパキスタンのカラチへと。その同乗記は、ダウ船の航海術やら船の構造、そして船上での船員たちの仕事ぶりや暮らしぶりなどがつぶさに記録されていて興味深い一書となっている。
 それにしてもアラブ=「砂漠の民」の固定的図式からは意外な「海の民」の側面が新鮮だ。かつて和辻哲郎はその代表的著書『風土』(岩波書店、1935年)において、インド洋を渡ってきてアラビアの南端アデンに到着したという想定で、眼前に立ちふさがる、一本の草木もない突兀(とっこつ)たる岩山から「乾燥そのもの」の世界に生きるアラビア的人間をイメージして、「沙漠的人間」という一類型を提示した。その古典的人間類型論によるものなのか、あるいは本多勝一の、灼熱の砂漠に生きるベドウィンをルポした、ベストセラー『アラビア遊牧民』(朝日新聞社・1967年)の影響なのか、アラビア人に「海の民」を連想することはほとんどない。しかし、数千年の歴史をもつダウ船とともに生きてきたアラブを知るにつれ、それは全くの一面的な視点であったことに気づかされる。
 人類学者の片倉もとこ氏に「海のベドウィン」という一文がある(『NHK 海のシルクロード第2巻』所収、日本放送出版協会、1988年)。19世紀初頭、アラビア湾のバハレーンで操業していた2500隻の真珠採取船に言及して、「水陸両棲」のベドウィンの姿を紹介している。海洋民としてのアラビア人の側面は、遊牧と航海に共通する「移動」という価値に着眼した片倉氏によってはじめて浮き彫りにされたといえるのだろう。
(か)2017.5.28
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