近著探訪(44)

 十二世紀ルネサンス         ■伊東俊太郎 著・講談社学術文庫・2006年■
十二世紀ルネサンス
 NHK・BS放送で「知られざるイスラム天文学」(2017.8.24)という、イスラームの中世を取り上げた番組をみた。ヨーロッパ(キリスト教世界)の中世はある意味「停滞」を意味するが、イスラームの中世は、最先端の科学が乱舞する世界であった。その栄光の歴史の一端を天文学を通して見ていく内容である。
 海や砂漠を安全に旅するには星の位置から正確な方角を割り出すことが決定的に重要であったことや、1日5回の礼拝時間やキブラ(マッカの方角)、断食の開始時刻と終了時刻などを正確に必要とする信仰のあり方など、そうした背景が天文学を大いに発展させる要因となった。
 15世紀初頭、ウズベキスタンの天文台では1年を365日5時間49分15秒とする観測結果を導き出していた。現代の天文学(太陽年の2015年中央値)によると、1年は365日5時間48分45秒…とされており、その差は30秒ほど。驚異的な精度である。天文学だけでなく、幾何学、代数学、医学などにおいても高度な学術世界がイスラーム圏では展開していた。
 いっぽう「暗黒の中世」とも呼ばれるヨーロッパは、遅ればせながら15世紀から16世紀のルネサンスを経て17世紀に近代科学の黎明期を迎える。──と、世界史で習ったわけだけれど、しかし、それまでの中世を「暗黒」ばかりではなかったとする「12世紀ルネサンス」という歴史概念があることを本書ではじめて知った。いわゆる15〜16世紀のルネサンス以前の、12世紀ごろには活力ある創造的な知の時代が躍動しており(ボローニャ大学やパリ大学、オックスフォード大学などがこの時期誕生している)、本格的なルネサンスに向けての準備が着々となされていたとするもの。ギリシア文明がもたらした学術的遺産を発展的に継承し、さらには来る近代科学の幕開けへつなげたとする、いわばヨーロッパの「内発的発展」を自賛する歴史観といえるのかもしれない。チャールズ・ハスキンズというアメリカの中世史家が1927年に著した『十二世紀ルネサンス』という本によってうまれた概念なのだそうだ。
 本書も同じ『十二世紀ルネサンス』という書名だが、こちらの内容はすこしニュアンスがちがう。岩波書店から出版されていた原著には「西欧世界へのアラビア文明の影響」という副題がついていた(講談社版にもつけておいたらよかったのに)。ハスキンズが説くヨーロッパ史の文脈上にある「内発的」な視点からではなく、西欧はアラビア文明との遭遇によってギリシア文明の叡智を移植することが可能になったという、「外発的」な要因(こちらのほうが事実としても圧倒的であった)に力点を置いて考察した「12世紀ルネサンス」論ということになる。
「ギリシア以来の3000年の文明」と冠して西欧文明を語ることが一般的だけれど、とてもそんなすっきりした一気通貫的なものではなく、じつは大きな断絶があった。ギリシア文明やヘレニズム文明が生み出した高度な科学や学術はいったんビザンティン文明圏に移っていき、そこからアラビア・イスラーム圏に入っていく(西ローマ帝国にはほとんど入っていかなかった)。たとえば9世紀にはバグダードに「知恵の館」(バイト・ルヒクマ)という研究所を設立し、そこには多くの学者が集い、シリア語やギリシア語で著されていた膨大な科学書・哲学書の文献をアラビア語へとせっせと翻訳し、注釈をつけ、自家薬籠中のものに落とし込み、そしてそれらの学術分野をさらに独自に発展させていった。当時最先端の知を手にしていたのである。そうしたアラビア圏が培ってきた知的基盤をこんどは西欧が12世紀あたりからアラビア語からラテン語に訳して、移入していくことになる。だから、ギリシア・ヘレニズム→ビザンティン→シリア・アラビア→西欧という文明の流れになる。
 さて、興味深いのは、文明の伝播・移転に一役買ったのが「異端」の人びとであったことである。 「ギリシアの学術が、ギリシア世界を越えて西アジアに、そしてついにはアラビアに伝播するきっかけとなったのは、異端キリスト教徒がビザンティン帝国を追放されたがゆえでした」。この結果、「西アジアのヘレニズム化を惹き起し、やがてはアラビア・ルネサンスにつらなっていった」(137頁)
 イスラーム圏では信仰の自由は保証されており、異教徒であってもジズヤ(人頭税)を納めることで生命財産の安全が約束されていた。だから、ギリシア正教会(正統派)から追放されたネストリウス派や単性論派などの人びとがアラビア圏に移っていく。こうした共存を制度的に保証していたイスラームのシステムが、文明・文化をブラッシュアップしていく原動力になっていた。著者はこのような「強制されたエクソダス」がもたらす文明移転を、もちろんそれらは不幸な出来事であったとしながらも、比較文明的に見ると「その地域の条件と相互作用を起して、そこに新しい文化や文明がさらにまた大きく発展してゆくのです」としるしている。ほかにもダライ・ラマのインド亡命によるチベット仏教の世界化であったり、ナチスによるユダヤ人の弾圧から大量のユダヤ人がアメリカに移住したことでアメリカの文化が一変してしまったことなどの事例を挙げている。
 逆のケースを見ると、イベリア半島でレコンキスタが完了する(1492年)と、スペイン(キリスト教世界)はアラブ人を追放し、ユダヤ人を迫害していく。追われたユダヤ人やアラブ人を受け入れたのがオスマン帝国であった。その後帝国はますます富み栄えていくいっぽうで、スペインは没落していく。排外主義的な政策がもたらすものは停滞と衰退でしかなく、共生のシステムこそが飛躍と発展をもたらすという歴史の命題は、いまの時代にあってこそおさえておきたい。
(か)2017.9.18
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