旧著探訪 (33)

 「正体本」の正体と、『デフレの正体』   ■藻谷浩介著・角川書店・2010年■ 
デフレの正体

戦後史の正体

「アラブの春」の正体
「正体」という語を書名の一部とする本が氾濫している。『京都・イケズの正体』『ファシズムの正体』『どアホノミクスの正体』『いじめの正体』『江戸しぐさの正体』『この国の息苦しさの正体』『雑談の正体』『薩長史観の正体』『関西人の正体』などなど、最近出版されたものから目についたものをランダムにリストアップしたが、いやはや雨後の筍の様相を呈している。一連のタイトル本を私は「正体本」と呼んでいる。
 この「正体」という語を一等最初に私が意識したのは、『戦後史の正体』(孫崎享、創元社、2012年)という本だった。
 戦後日本のあり方は、米国の51番目の州とも表現されるほどに対米追従型であり、主権国家としてどうなのよ!?と、しばしば揶揄嘲弄されてきた。ところが本書の登場によって、そうした見立てがたんなる曖昧模糊とした印象に基づくもの
でなく、また一部でささやかれる陰謀史観といったようなものでもなく、条約、協定、外交文書などを精緻に読み解き、具体的な史実を丁寧に分析することをとおして、れっきとした事実であることが白日の下にさらされることになった。このインパクトある内容ゆえに「正体」という、当時新鮮な言い回しがぴったりとおさまって、うまいっ!と感じたものだった。
 正体本で印象的だったものをあげると、『「アラブの春」の正体』(重信メイ、角川書店、2012年)もよかった。アラブ諸国の民主化革命の騒擾が欧米列強に巧妙に乗っ取られ、収拾がつかない内戦へと突き進んでいく(突き進まされていく)一面がレポートされた一冊である。中東の混乱に利を求めて薪をくべている「正体」を浮かび上がらせる。この本については以前『来て見てシリア』(旧著探訪27)ですこし取り上げた。
 さて、私にとっての真打の正体本は、今回取り上げる『デフレの正体』である。じつはなんでもかでも「正体」を名乗る傾向にうんざりし始めていた頃に本書の存在を知った。だからすぐには食指が動かなかったのである。が、刊行年が2010年、不覚にも長い間私が知らなかっただけで、こちらが本家本元、元祖「正体本」だったのだ。流行に浮かれて「正体」を名乗ったのではない。これ以外では言い表せない、「正体」と表現されるべき必然性をまとった「正体」の謂いであったのだ。
 四半世紀にもわたるこのデフレ日本の処方箋は百家争鳴であるが、そのよってたつところは景気循環論をベースにしたマクロ経済学である。本書はそうした枠組みから一線を画して、生産年齢人口(15歳〜64歳)の絶対数の増減にその正体を探る。
「戦後復興の中で、たまたま数の多い団塊の世代が生まれた。彼らが加齢していくのに伴い、そのライフステージに応じてさまざまなものが売れ、そして売れなくなっていく。この単純なストーリーで(たとえば1970年代後半から80年代のバブル最盛期にかけての住宅市場や土地市場の活況は)説明できてしまう」(125-126頁)
 つまりは現下の経済状況を、「団塊の世代」に大きく影響される人口動態論から読み解く。それは、現役世代の絶対人数に応じて消費のマーケットの規模が決まるという当然といえば当然のセオリーであった。現役世代の所得総額が消費規模に連動する。毎年200万人超の「団塊の世代」といわれる人たちが定年を迎えてマーケットから退出していく一方、新しく参入する学卒者は120万人程度、その差約80万人が1年で純減していく。言い換えれば80万人分の個人所得の総額(≒消費総額)が消えていく。5年でその数400万人。それに加えて同時に進行していく老齢人口の激増。個人金融資産の60%を65歳以上の高齢者が保有するといわれているが、こうしたお金は「将来の医療福祉関連支出の先買い」(102頁)で流動性はほぼゼロ。つまり消費には回らない。ゆえに「国内の雇用の大部分を占める内需型産業は恒常的に供給過剰状態」でモノが売れない時代が続く。業績は回復せず、若者の賃金は据え置かれたままで、結果積極的な消費に回る余裕も生まれない。つまるところ、これまで提唱されてきた景気循環に対処するための各種方策はお門違いであると述べる。
 昨今の「景気がいい」という一部の話は、輸出型産業に限られており、人気のない産業では恒常的に人手不足となり、この状態が一見好況をカモフラージュする。大卒者の就職内定率が過去最高の97.6%(2017年)といわれ、アベノミクスの成果と持ち上げる向きもあるようだが、本書にしたがえば、ただ単純に猛烈な勢いで退職していく人数と、新規に就労していく人数の圧倒的乖離がもたらす、当然の結果に過ぎないということである。
 著者は経済的指標となる数字を「率」ではなく、「絶対数」「総額」で読むことの大切さをしばしば指摘している。就職率よりも就労者総数でみるということだ。たとえば米国の雇用統計では、「非農業部門の雇用者数が前月比14万8000人増」(日経新聞2018.1.6)と絶対数で発表されている。「有効求人倍率」やら「失業率」など「率」にとらわれていると見誤る。この視点は目から鱗だった。
 先日「人口オーナス第2幕に備えよ」と題して、生産年齢人口の落ち込みを労働生産性の向上でカバーせよという記事が掲載されていた(日経新聞「大機小機」2018年1月27日)。曰く、人口オーナス下にあっては、労働の質の向上、技術革新によって効率性をアップさせてGDPの拡大をめざせというもの。興味深いことにいうべきか……、本書には本記事が指し示す方向を真っ向から否定する1章がとうに設けられている。題して「『人口減少は生産性上昇で補える』という思い込みが対処を遅らせる」(142頁)というもの。そもそも労働生産性とは何か? 生産性向上=コストカットという一般の認識とはおおいにちがった視点が示される。このあたりの論の展開がこれまた目から鱗だった。ぜひご一読を。
 ともあれ一般的に信じられているマクロ経済学からの解釈にことごとくノンを突きつける内容から、おそらくは多くの経済学者を敵に回すことになったにちがいない(というか、黙殺か……)。本書の帯の表1、表2には「学者も社長も、ブロガーも絶賛!」と何人もの推薦者が名を連ねているが、そのなかに経済学を専門にしている人がひとりもいない! しかし本書は、私の中ではその強烈な説得力と衝撃力を持って、真打「正体本」として現在も君臨しつづけているのであります。
2018.2.4(か)
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