旧著探訪 (28)

  エジプトないしょばなし        ■田中四郎著・文藝春秋新社・1962年■ 
エジプトないしょばなし

やわらかなアラブ学

駱駝のちどりあし

エジプトは誘惑する
 昨今のアラビストは、空爆やら難民やらテロなど、硝煙漂う話題を読み解くことがおもな仕事になってしまった。9.11同時多発テロ以前の、前世紀にさかのぼれば、彼の地はまだまだ牧歌的で人を魅了する旅情に事欠くことはなかったわけで、その時代のアラビストは幸せだったと思う。湾岸危機やらイラク戦争などで局地的に戦乱が引き起こされることは幾たびもあったが、それでもトルコへ、モロッコへ、エジプトへ……と目先を変えればよかった。彼の地の言葉や習慣、衣食住などをテーマに、穏やかな気持ちで異文化理解に身をまかせることもできた。紛争一色に塗りつぶされてしまったアラブ世界をいつの日かふたたび物見遊山できる時代が、私の目の黒いうちに訪れてくれるだろうか。ここ数年の報道に接していて、私はすこし悲観的である。
 さて、今回は、今は昔の、古きよき時代を謳歌したアラビストの著作を取り上げたい。
 田中四郎氏。6月19日のWhat's NEWでふれた『やわらかなアラブ学』(新潮選書・1992年)で著者のことを知った。本書はアラブ世界の暮らしに密着したさまざまな話題をワンテーマ見開き2頁で1行の過不足もなく律儀にまとめ上げた、アラブ文化の入門書である。その軽妙な筆運びは、アラビストというより、手練れのコラムニストとしての印象を受けた。その後入手した『駱駝のちどりあし』(新潮社・1994年)も字数・行数への完璧主義は徹底していて、達意の文章でかっちり1頁読み切りタイプになっている。本書には「コラムの緊張」と題して、コラムを書くことへの思いをしたためた一文もあるほどだ。この人、すごい! 私はすっかりファンになってしまった。
 大阪外語(現大阪大学)アラビア語科を1942年に卒業。ちなみに司馬遼太郎氏の蒙古語科入学が1942年である。戦後の46年から母校の教壇に立ち、アラビア語を担当。その後教授を経て、1971年から京都外大で教鞭をとるとプロフィールに記されている。1921年のお生まれであるから、もしご存命であれば現在95歳(Facebookはアップされている)。
 京都外大時代は毎年学生を連れてエジプト旅行を実施。そのツアー人気も年を経るごと高まり、1995年の旅行は総勢80名を引率されたようである。そのおりの旅の様子を出発から帰国までドキュメント風にまとめた一書に『エジプトは誘惑する』(文藝春秋・1996年)がある。話題豊富な職人肌のコラムニストにして、戦前からの筋金入りのアラビストであるから、こんな方にアテンドしてもらう学生は幸せである。彼らの珍道中をきっかけに開陳される著者のアラブ学の学識・見識が読んでいて楽しい。エジプト旅行にはこれ1冊でじゅうぶんと思えるほどの最良の案内書になっている。
 これまで紹介した著作はすべて古本で手に入れた。大学書林の『実用アラビア語会話』は1963年初版で今も版を重ねているようだが、一般書はすべて絶版のようである。そのなかでもっとも昔に刊行された著書が『エジプトないしょばなし』(文藝春秋新社・1962年)。版元名が時代を感じさせる。
 エジプト留学の希望を当時のナセル大統領に手紙で直訴した結果、その「正確なアラビア語で、文章が上手なうえ筆跡がまた実に見事だった」ことから、「いつまでも御希望の年月だけ」という国賓級の条件で招待され、カイロ大学に留学する。1959年のこと。本書はそのおりの留学記であるが、この本、ぶったまげた! 大学の先生という立場にありながら、ここまでけ明け透けに書いてしまってもいいのだろうかとこちらが心配するほど、文字どおり「ないしょばなし」が満載なのである。巻頭いきなり「カイロの夜」と題して売春宿をレポートする一文がある。ツカミとして下ネタから入ったんだなと思ったのだが、なんと本書の8割方はその方面の話題に終始していた。すごい。当時アカデミズムからどんな反応があったのだろうか。興味深いところであるが、そんなことは意にも介せず、わが道を行くスタイル。ますますこの先生を好きになってしまった。
(か)2016.7.31

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