近著探訪(9)

 日本からローマが見える
   ■塩野七生 集英社文庫・2008年■
 お世話になっているM新聞社の方から、今夏、チュニジアに行ってきたという話を聞いた。うらやましい。チュニジアといえば、都市国家カルタゴ……。1980年代前半だったと思うが、ちょうど日本が経済大国として世界に認知され(『ジャパン・アズ・ナンバーワン』は1979年に刊行された)、恐慌前夜の今とは対極の、この世の春とばかりにバブル前夜を謳歌していたころ、「日本=カルタゴ」論というものが流行っていた。あれはいったいなんだったのだろう? そんなぼんやりした記憶を引きずりながら、書店でたまたま目にしたのが本書である。長尺物の『ローマ人の物語』を読まなくても、いたってコンパクトに、ギリシャ、ローマ、カルタゴを舞台にした、紀元前の地中海をめぐる塩野史観に触れられる。これは便利な一冊ではないか!
 
 さて、当時の「日本=カルタゴ」論。
 カルタゴ(BC814〜BC146)は、紀元前6世紀あたりから貿易立国として地中海の覇者となり、大いに栄えたが、ローマに滅ぼされ(ポエニ戦争)、地上から跡形もなく消え去った国家。そうした国の行く末を80年代のバブリーな日本への警鐘として「金儲けだけの国家は滅ぶ」という「日本=カルタゴ」論だったように思う。日本を「第二のカルタゴ」にするなというわけだ。その前提となるのは「平和主義」。平和ボケの国家に明日はないという。いちおう軍備を持たないことになっている日本、そしてカルタゴも平和主義国家だった……。
 しかし、カルタゴの名将ハンニバルに思いをいたせば、カルタゴが平和国家だったなんて成り立たないのは自明。本書によれば、ハンニバルがイタリアに攻め入った第2次ポエニ戦争では、戦域がスペイン、アフリカまで拡大し、歴史家によっては「人類史上初の世界大戦」と呼ぶ人もあるぐらい。著者曰く、「<通商国家イコール平和主義>と考えるのはあまりに現代に引き寄せすぎた見方」で、「貿易大国の日本が平和国家だからといって同じ貿易大国のカルタゴも平和国家であるとするのは、あまりにも歴史を無視した論議と言わざるをえない」と。
 史実とはあきらかに違う言説が、なぜあの時代、まかり通ったのか、いまとなっては不思議である。
 さて、本書は、あの大部な『ローマ人の物語』への誘いの書になっている。たぶん。私は三十数巻にも及ぶ『ローマ人の物語』を気になりながらも、これまで敬遠してきた。「ありゃあ面白いよ」という声もたくさん聞いた。しかし、万が一ハマってしまえば、明けても暮れても「ローマ人」になってしまうではないか。それは避けたい。そう、避けたかったのだが。
 案の定、私はこのところ、どっぷり「ローマ人」の徒である。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」──を学べる。いまや「賢者」になった気分である。いやあ、おもしろい!
 2008/11/01(か)
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