近著探訪(17)

 白川静読本   
■平凡社編・平凡社・2010年■
 最近、「白川静」の名をよく聞くなあと思っていたら、この4月で生誕100年らしい。亡くなられたのが数年前(正確には2006年。もう4年もたっていた!)という記憶と、100年という時間がピンとこなかった。享年96歳であるから当然そうなりますね。
 1996年に刊行された『字通』を大枚はたいて買ったことを思い出す。しかし、ほとんど活用できず、当時小学生だった子どもの「漢字の語源調べ」の宿題に使った程度。「白川静」を冒涜するような、バカっぽい使い方しかできず恥ずかしい。
 白川静の偉大さをどう理解したらいいのか。じつはよくわかっていなかった。『字統』『字訓』『字通』の浩瀚な字書3部作をたったひとりで書き上げ、しかもそれは、普通なら隠居していていてもおかしくない70代半ばという年齢からの仕事であった…、その偉業を言祝ぐことはできる。しかし、その学問的世界を知ることは困難だった。
 一昨年刊行された松岡正剛著『白川静─漢字の世界観』(平凡社新書)の出版案内には、…「巨知・白川静」への入門書。「この本によって初めて白川静の世界がわかった」…と、記されている。凄い人なんだと知ってはいるが、何がどう凄いのか、わかっていない人がやっぱり多かったのだな。私だけじゃなかったと安心したものである。しかし、私はこの本を読んでも残念ながら「わかった」なんて思えなかった。著者のせいではない。たぶん、この未曾有の碩学の世界へ入る準備が、まったく出来ていなかったことによるのだろう。
 本書『白川静読本』は、「白川静」を知る47人がよってたかって「ここが凄いのだ!」を語る一冊。これを読めば、こんな私でも腑に落とすことができるんじゃないか。たしかに…、期待に違わず少しはわかってきたぞ。
「口(くち)」は、身体器官の口ではなく、祝詞を入れておく容器(サイとよばれる)の形を意味した。よく知られる白川文字学のイントロである。中国・後漢の時代につくられた許慎の『説文解字』(紀元100年)に述べられている字源・字義を約2000年ぶりに更改した。大、大、大偉業である。しかし、ここで終わってしまってはいけないのである。ここからが白川文字学のスタートであったのだ。
 中国哲学史の加地伸行氏の「先生がなにか漢字の専門家であるかのように言うが、そうではない。本質的には中国古代文学の研究者なのである」と。
 書家の石川九楊氏は「紀元前一三〇〇年頃の殷を中核とする宗教と祭司儀礼、政治と制度、戦争と武器、社会と習慣、衣食住、さらには人間の意識に至るまでの全体像を克明に解き明かした」と。
「ニーチェの業績に比したいと思う」とは、哲学者の梅原猛氏。アポロン的なギリシャ精神の奥底に潜むディオニソス的世界を提示して、これまでのギリシャ世界の解釈を一変させたニーチェのように、と。白川文字学は、合理的理性的な周の時代において、それ以前に存在した殷のおどろおどろしい、宗教的呪術的世界が隠されていたことを明らかにした。これまでの中国古代社会の解釈を一変させたわけである。
 中国古代だけではない。「詩経」と「万葉集」との比較から、日本の古代人の精神世界もあきらかにされ、初期万葉においては「叙景歌」なんてものはなかったことが解明される。それはアララギ派の解釈をも一変させる迫力があった。一変といえば『孔子伝』で語られた孔子像もそうだ。そう、白川静は古代東アジアの、通説とされていた解釈をことごとく「一変」させてしまったのだ。
 収録された47本のなかで、評論家の三浦雅士氏の一文はスリリングだった。フーコーの『言葉と物』『知の考古学』に比して、「白川静の関心が、漢字の起源ではなく、むしろ起源の忘却に、さらには知の切断にあった」とする。その切断の発見は、(フーコーのそれよりも)はるかに劇的だった、と。
2010.4.10(か)
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