神学生・夜明けに走る!
元 正章
 れもしない、去年の3月25日に新聞配達を始めた。そして、約10カ月続けた。今はそれ以前と変わらない生活状態であり、ほぼ毎日2時半頃起床していたこと自体が信じられないほどである。なんとまた人とは、環境に左右されやすい動物であることかと骨身に沁みる。そんなことを情けなく思えば、その程度の人間でしかないのかとの反省の思いから、この文章をまとめてみることにした。来週からは、いよいよ授業が始まる。最終学年となる今学期を控えて、気持ちを引き締める必要を感じた。
 この春休みを顧みて、ただ一日一日と過ぎてしまったということである。日一日、その時間の長さは誰にも等しい。要は、その中身とか充実度ということになろうが、それとて過ぎ去ってしまえば、想い出の中に生きることとなる。だから、何々をやった、人にはできないことを行ったということは、大して自慢になることでもない。経験とは、その時だけのことで終わるのではなく、その後も刻みつけられることで、その経験が活かされるということであろう。その際、人生の長いスパンで、また他人との関わりの中で、その経験が生きたものになっているのか、それとも死んでしまったものなのかが判別されよう。あの10カ月の期間が長いのか短いのか、そのことは問題ではない。そこには、日一日の始まりがあったし、労働した後の朝食は、感謝の祈りでもってこそ自然であった。「神さま、今日一日ありがとうございます」という祈りが、今はできなくなった。敬虔の念が薄れてしまった分、身も心も弛緩してしまっている自分を意識させられる。
 新聞配達を辞めて、日一日のつっかい棒がなくなり、「これで、自由だ。これからは解放される」と思った。もう2時半起きなんて、しなくていいとなると、ほっとした。この後は生活のリズムを自然な形で作っていけばいいわけであって、それは難しいことではない。朝6時に起きて、クラシック音楽を聴きながら朝食、そして勉強の準備にかかり、7時からのラジオ講座と、お決まりの一日が始まることになる。ところが、この6時起きが守られず、元のもくあみというか、7時起床となってしまった。仕事というものが長続きするのは、それは自分の意志からではなく、仕方なくとはいえ時間が拘束されているからであろう。その上、昼下がりとなると、眠たくなってくる。これは平均睡眠時間約5時間であったことからくる影響であって、この時間帯になると、よくうとうとしてしまった。夜型から朝型へと体内時計を調整するのに苦労したが、それが元の状態になってときも、このうたた寝の時間は習慣として残ったようである。まっこと、肉というものは低きに流れて、安きに住まうものであることを実証してしまった。図書館でのバイトも含めて一日約4時間働いていたのに、それがそっくり勉強時間にと組み込まれない。そのことはある程度予想できたとはいえ、時間にメリハリがなくなってしまたことが問題である。
 新聞配達していて辛かったことは、深夜に起床することではなく、夜の時間が使えなかったことである。7時過ぎに夕食となるのは変わらない。9時頃には就寝なわけだから、その後何かをしようとなると何もできない。ために、自ずから人と夜に会う機会はない。もちろんテレビを観ることもない。もっともこのことは当初から予定していたことであって、夜のつきあいを避けることを心していた。それは禁欲といったようなことではなく、人と語り合うことそのものを避けていた。一日一日が勉強するだけで精一杯。それ以上の余裕はなかった。夕暮れどき、5時か6時頃に下校し、それから買い物・食事の支度となると、実質的にはその日一日は終わっていた。このような規則正しい生活が健康的なのかどうかはともかく、一日の始まりが早ければその終わりも早いという、この明確な事実の中での新聞配達生活であった。
 
 
めて2カ月以上も経つと、配達そのものの労働が余りも単調だったこともあるだろうが、自分がほんとうにやっていたのかと思わないでもない。去年の今頃は、確かに配っていたのである。最初の一週間こそ起きるのが辛かったとは思うのだが、総じて辛いという感慨はない。毎日毎日同じようなことを繰り返していたならば、それが自然のことでもあって、他人が想像するほどには、大変なことでもない。ただ、起きるのが早すぎるということだけであって、それ以上でもそれ以下でもない労働の中身である。世に描かれる新聞配達のイメージは、新聞配達少年とか苦学生というものであって、「よくがんばっていますね。ご苦労さま」といったようなものであり、それ以上でもそれ以下の評価も与えられていない。10年後はともかく、いまだ日本社会の仕組みとして位置づけられてる新聞配達の制度は、それぞれの家庭にとって一日の始まりを告げるファクターとなっているであろう。その限り、新聞配達人は公共性を帯び、世間の善意にも支えられて見られ、あの「毎日、ご苦労さま」という挨拶を交わされることとなる。その使命からすれば、郵便配達人と同じであり、雨の日の風の日も休まず続けてこそ初めて、意味のある職業となる。「今日は台風だから、やめた」とはならない。あの大震災の時でさえ、新聞は配られていたのである。とはいうものの、「では、おまえがやるか」と言ったのならば、大概の人は嫌がるであろう。実質的には、深夜の肉体労働である。身ひとつあればできる仕事ではあるが、なかなか人が定着しないのが現実である。
 私の勤めた販売所は、幸いにして善い人たちであった。所長夫妻に社員が4名、それにバイトが10名ほど。所長は関学のOBで、年齢も近く、最初の面接から話があった。なにやかやと雑談していると、旧知の友のような感じにもなった。新聞配達している人が全国で20万人いると言われても、そんなことでは何の励ましにもならないが、所長を含めてここで働いている人たちの姿を見ていると、自分もその一員としてやらなければという気持ちになる。ここでは、身分とか学識とかは一切関係ない。時間通りに来て、誤配・不配しないことだけが問題であって、その他のことは要求されない。そうした職場で、気楽に働くことができた。辞めるときには正体がばれてしまったが、所長夫妻を除いては誰一人として学生とは思わなかったことであろう。所長には、関学のチャペルで説教するときに、出席していただいた。新聞配達の経験を語ることにしたので、それを聴いてもらいたかった。
 忘年会ことは、忘れられない想い出となっている。毎日顔を合わせていても、親しく話し合うということは滅多にない。みんながどのような人なのか、そのことを知りたいと強く願っていた。席上、一番の話題となったのが、以前雨の日に娘が手伝ってくれたことであった。「うちの子どもは、そんなこと絶対にしない。おたくの娘さんは偉い」と、感心してくれる。そのとき、一人一人がお父さんの顔になって、真顔で向き合ってくれた。人と人とが対等に付き合える関係ほど、いいものはない。こうなると、私の性格というか地が現れてしまう。とことん酔っぱらうことにした。はちゃめちゃになってしまった。久しぶりに味わう、美味しい酒であった。辞めるとき、社員4名の方にお礼状を書くと、ある一人の社員からその夜電話があり、「あの手紙、一生大事にしておきます」とのこと。汚い字で誠心誠意こめて書いたわけでもないのに、ありがたいことである。

 
達の指摘を俟つまでもなく、バイトだからこそ新聞配達をできたのであり、これが社員ともなれば、そこにいろんな利害関係や人間関係が絡んできて、きれいごとではすまない。人間の善い面だけを見せてもらったというだけのことである。しかし、この人たちのことはずっと忘れることはあるまい。配達中、顔を合わすのは、もっぱら他の同業者である。お互いに目配せする程度のあいさつで終わるが、毎日新聞のおじさんとは不思議に気が合い、見かける度に一言二言話する。ある雨の降る日など、気づかずに落としてしまった新聞を拾って助けてもらったこともある。マンションのエレベーターでかちあったときなどは、互いに譲り合う。そして、辞める数日前になって、ようやく名前を知った。彼にも手紙を書くことで、別れのあいさつをした。最後の日になって、彼もまたクリスチャンであることを知った。忘れがたい一人である。またある一人、彼女の姿も目に焼きついている。まだ20代後半の女性であろうか。手ぬぐいで顔を包み、ヘルメットをつけてバイクに乗っている姿は、「わたし、こんなにも頑張っているのよ」と言わんばかりの真面目さがあふれていて、眺めているだけでもその必死さが窺い知れる。どんな事情があって、新聞配達しているかは想像すらできないが、そのひたむきさがかえって息苦しく感じさせる。彼女の生活には別な仕事が待っていよう。睡眠時間を減らしても、とにかく金を稼がなくてはならない。そのことがひしひしと伝わってくる。よく見れば美形な顔立ちである。それなのに、女であることを隠している。殺してさえしまっている。今はどすいているのであろうか。彼女の幸せを願わんばかりである。
 それにしても、新聞配達してよかったと思う。孤独な作業であると思われていようが、決してそうではない。自然を友として働いてきた。月や星や雲や太陽が、仲間のようになっている。風がこれほどに爽やかに感じることはない。確かに雨の日は嫌なものではあるが、土砂降りでなければ、小雨は肌に気持ちいい。春夏秋冬と、朝の空気を体一杯味わった。配っている新聞には、強盗・殺人や汚職・腐敗とかリストラ・不景気と暗いニュースが詰まっているが、配っている当人にとっては、ニュースの内容よりも自然の方がより親しい。このような空間は、日中ではまず味わうことができまい。配達区域は、わが庭ともなっている。この中では、自由なのだ。夜が白み始める時分というのは、人間の心の推移にあっても、一番謙虚になるときではなかろうか。暗闇では悪魔が忍び込みやすいが、夜明けを迎えて悪魔が活気づくとは、それはサマにもならないし、絵にもなるまい。

 
本の国をよくしたいと願うならば、世の指導者は一度新聞配達をやってみてはどうかと、進言したい。もしムネオ君が地元根室で一年間新聞配達を続けたのならば、彼を信じてやってもいい。それができたのならば、地元住民も彼を支援するであろう。こうした考え方に対して、世の有識者は浪花節的として一笑に付すであろうが、世界の興亡の歴史を学んでみるといい。ローマ帝国はなぜ滅んだか。それは定刻を築きあげたその力が、滅亡に向かう元凶となったためである。力とは強くなればなるほど、いつか傲りと堕落を産むものであり、その力の反作用から免れた帝国はいまだかつて存在しない。21世紀が20世紀の延長というのでは、淋しい限りである。この際、すべての分野に渡って、歴史観の総見直しをしてみてはどうであろうか。いったん白紙にして、そこからもう一度作り上げていったのならば、どうなるか。何が残って、何が消えるか。
 さあ、時が来た。春休みも今週で終わり。来週からは、授業が始まる。授業があるから勉強にも身が入るのであって、まだまだ学生の域から出られない。神学部の教室と大学図書館が、わが城となる。この一年間、バイトはしない。
 
 
がちょうど、桜の満開のとき。桜花を眺めていると、言葉にはならない。すばらしいという形容は、かえって不適切である。からだが淡く血に染まる。淡く燃えてくる。色の匂いが、からだを包み込む。桜の木の下には、生と死が混ざっているのだろう。日本のこころが、そこにはある。時は金に替えられないということを、ふと思い返された。
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