『柏倉通信』リポート……No.10
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  熱いトタン屋根の上の…

 タウン・ページで塗装屋を探して電話を入れた。古びたトタン屋根のペンキ塗りを頼んで見積りに来てもらった。
 「んだかァ、東京から来たンだかァ、この辺なら山はあるス、山菜も採れっべス、静かだス、良いとこさ、ござったス」 
 屋根のペンキ塗りの見積りを頼んだはずなのだが、まず、決まってお茶を飲み世間話をして人間関係を構築しないことには肝心の仕事の話が始まらない。人の良さそうな営業マンは積もるお国自慢を並べた後に、
 「んだっすなぁ、母屋とあちらの小屋とで……」 
 電卓をタカタカ押してやっと見積もりを始めた。
 「三十五万ですァ」 
 この料金が高いのか安いのか。はたまた妥当な相場という処なのか。私には分からない。営業マンは人も悪くなさそうだし、関西風の値切り交渉は私には苦手だし、だから先方の言い値で決めた。
 「手塗りだと吹き付けより高くはなりますァ。けンど、手塗りなら仕事は丁寧ですしお勧めしますァ」
 スプレー・ガンでサッサと仕上げる方法なら十九万円で済む。だが、手塗りなら職人が仕事をするから仕上がりのグレードがぐッと上がると営業マンは言った。
 「では、手塗りでお願いします」 
 「んだか、んだとォ、八月の内には塗り終わるようにしますァ」 
 今は連休明けの五月初め。ずいぶんと日数がかかるものだと思ったが、山形という土地での仕事の進み具合はそういうものか、のんびりするのもいいものだと理解して料金後払いの契約を結んだ。
 こんなときにも茶と茶菓子と茶飲み話という人付き合いの三要素を必ずキープする。延々と続く無駄話…。
 田舎はいいものだ、ゆったりした世間は南国スリランカのように慌てず騒がずで、そこに田舎暮らしのゆとりがあるんだ…と営業マンが帰った後に相棒とそんな話をして山形生活の幸福に乾杯した。
 しかし、田舎の悠長を装うのが営業マンの巧妙な手口だったと気づいたのは実際のペンキ塗りが始まってからのことだった。悠長の猫を被ったペンキ屋営業マンは茶を飲みながらしっかりとこちらの懐具合を探り、我ら東京人の世間慣れしない迂闊さを見抜いていたのだった。
 二週間程経った晴れた日の朝、一台のバンがやって来て家の前に止まった。荷台から梯子やらブリキ缶やらを下ろして 「ペンキ塗りに来ったァ」と二人の職人が言う。
 梯子を屋根に掛けてついついと登り、どかどかトタン屋根を歩いて一通り下見をすると車からホースを引っ張り出し勢いよく屋根の水洗いを始めた。
 それが終わると水の乾いたところから刷毛とローラーを使ってペンキを塗り始め「ペンキ塗りに来ったァ」から「終わりますたァ、どぉもォ」まで二人の職人は集中決戦、二日で仕事を終えて帰って行った。
 早業に呆気にとられた。これが夏の盆の頃までには終わると契約したはずの職人の丁寧な仕事か。強力な移動性低気圧に襲われたみたいで気分が落ち着かない。悠長な山形式アルカディア生活は何処へ行った。
 「本当に終わったのか」 
 「そうみたいよ」 
 仕事の出来具合を目にしようと二階へ登って窓から屋根を見れば、塗りたてのペンキには刷毛の跡。ゴミの塗り込み。あろう事か、あちこちには塗り残し。ペンキを屋根にブッ掛けて雑に塗ったくった感じ。無惨な眺望だった。「きっと、後で仕上げに来るのだろうねぇ」 
 「でも、終わったと言って帰ったわよ」
 迂闊の東京人は田舎へ来ても迂闊な都会センスが消えない。
 それから一週間後。電話が鳴って受話器をとれば件のペンキ屋営業マンの声だった。
 「塗装代を受け取りに行ぐけんどォ」と言う。これには驚いた。仕事を取るまでのあの悠長な気質は何処へ行った。山形アルカディアの時間感覚なら営業マンは笑顔を振りまきながら夜にでもフラリとやって来て、茶を三杯お代わりして世間話も交わして、それから「塗装代はどうすんべ」「支払いナノいつでもいいッダナ」という感じの会話があるはずだった。
 だが、電話の向こうの声は冷めている。「行くけんどォ」で止まったままだ。営業マンも私もそこから沈黙。迂闊の東京人もやっと何かを感じた。
 「金は払いますけどね、ちょっと仕事が雑すぎるのでね、まぁ、いらしたときに見てください。支払いはその後に」とクレームをつけた。すると、
 「んだか、んだか、明日行きます」と営業マンは答えて電話が切れた。
 明日来ると電話で言った営業マンは、その明日になっても来なかった。そうして数日経ってから代理の者と称する男が現れ、
 「本人が来られないので私が代わりにペンキ代を受け取りに来た」と何食わぬ顔して言う。クソ!っと、思わず心の中で舌打ちをしてしまった。  
 これはパターンなのだ。ちょっとでもトラブルがあると「代理で来ますた」と善意の第三者、別の営業マンが現れる。前にも一度こうした例があった。
 薪で焚く風呂のボイラーが壊れているので灯油式に直したとき、その取り替え工事をリフォーム店に依頼した。そのときにもいい加減な工事と厚顔の集金があった。そして欠陥工事にクレームを付けると営業マンが雲隠れをするのだ。
 後で知ったのだが、我が家の場合、職人四人で二〜三日、二人なら四日かかるペンキ塗りの仕事なのだそうだ。ああ、まんまとだまされた。
 「どうするか」 
 「ホーム・センターのヤマケンかジョイへ行って材料を買ってきて、自分でやるしかないね」 
 車で街へ下りホーム・センターでペンキを買った。一斗缶で一万円ちょっと。トタン屋根にアクリル系ペイントの入った一斗缶を持ち上げて、塗装職人が塗り残した部分を刷毛で塗る。
 晴れた日に屋根にのぼった。屋根の上から蔵王の山々が一望できた。
 空の青さ、雲の白さ。こういう陳腐な表現は都会で聞くと嫌らしいのだけれど、田舎ではすがすがしい。自然は純な輝きで澄みわたっている。
 六月の太陽が照りつけるトタン屋根の上は想像以上に熱い。熱風が体の回りで渦を巻く。その地獄の中にペンキ缶と刷毛を持って立ちすくむ。
 さて何処から塗ろうかと、まず足下を見た。ペンキ職人が残していった刷毛の跡は奇妙な波模様を描いている。あれ、こんなの何処かで見た事あるぞ。
 屋根の上の縄文パターン。不規則なアラベスク。刷毛がなぞった跡は縄文土器の文様に似ていた。ははぁ、そうか、と一人で合点した。これが縄文模様の秘密かな。縄文の土器職人も仕事を手早くこなして、手間賃を沢山ふんだくろうとした奴がいたんじゃないか。 いや、そう見えてそう考えてしまったのは山からの冷たい風が一瞬止んで、トタン屋根の上に激しい熱風がもやって捲いたからだった。山里の家の屋根の上。六月の青い空の下。私はすこし目眩がした。



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