『柏倉通信』リポート……No.7
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  小さい農業、大きい農業


 二枚の写真を見比べてほしい。
 掌の上の小さな果物はスリランカという熱帯の国の果物でペラと言う。大きな方は洋梨の超新種シルバー・ベル、我が村カシャグラで手間暇かけて作っている。
 ペラは小さくて、洋梨のマイクロ品種みたいだ。放っておけば自然に木になる。手間いらずで実が出来る。大きな作物を作るには人の栽培管理がいるけど、小さい作物は手間いらずの小さな農業から生まれる、という訳だ。小さいことはいいことだ……そんなフレーズをふと頭に思い浮かべた。そういう思いが浮かんで来たのには、こんな訳がある。
 昨年十一月、スリランカの山里ガンパハという村に友人の家を訪ねた。朝から紅茶など飲んで、自堕落にしている彼が言った。
 「食べるものは身の回りにいくらでもある。働いてばかりいる必要はなにもない。忙しく働くばかりで、お喋りの時間も持てない暮らしなんていやだね」
 私も甘ったるい紅茶を啜って、「そりゃあそうだけど、働いて金を儲けなくては食っていけないのだから……」と、異を唱えると、「食うものは何でもここにある」と自堕落はそう応えた。
 確かに何でもある。数十キロの実をつけるジャックの木。ハーブやコショウ、それに唐辛子。フルーツはバナナ各種からマンゴーまで。母屋から離れたトイレの脇には木々の下に鶏小屋も。庭なのに食い物が沢山ある。    
 「今度、また、世界戦争が起こってもここの暮らしは何にも変わらないよ。食べ物と水はいくらでもあるから。酒もヤシの木になるしネ…」
 彼の庭にある鑑賞用の花と言えば紫陽花ぐらいで、後は総て有用植物。そう、彼の家は庭が畑になっているのだ。自分の家で食べるだけの野菜と果物なら庭にできる作物で足りてしまう。
 家の回りには十メートルはあろうという木が何本も茂っていた。友人はジャングルの中で自然のままに暮らしているのかと、家を訪ねた当初はそう思った。だけど、家の軒先の間近かにどっしりと立つジャックの巨木も、熱帯の果物の木々も、みんな植えて育てているのだという。ジャングルに見えた雑木林は、実は、立派な畑だったのだ。
 彼は作物に肥料も撒かなければ、農薬も散布しない。彼は言う。
 「肥やしをやらなくても実は出来るし、薬をやらなくても病気にならないよ」 
 ただ一つの管理らしい事と言えば、彼は叔父と一緒に、毎朝、庭に落ちた枯れ葉を丁寧に掃き清める。『藁一本の革命』もびっくりだ。
 このスリランカの自堕落農家のスタイルが、日本の東北のカッシャグラで応用できたものなら、グウタラの私にとっては何ともおいしい事ではないか。放っておけば食い物が庭になる。
 そう考えていたら、
 「いやぁ、タンノさん、そんなグウタラでは木に沢山の実がつかない。剪定、人工受粉、実の色付きを良くするための世話。そうした管理と共に肥料と農薬をやらなくては商業作物としては高く売れない」
と、山形に帰ってそう言われた。 
 「売れませんか……」
 「何もしないで実がなるジャックの木だか何だかは、南の島で見た初夢ってとこだナッス」
 いや、待てよ。
 私は何も売るために作物を作ろうとするのではない。自家消費だ。
 木に山成りの実をつけて、見た目の好さや糖度ばかりを上げて農協基準の花丸作物を作って出荷する必要なんてない。
 例い、出来た作物がドテ南瓜だったにしても、自分で食うのなら誰に文句のあるものか。肥料不足で枝にたわわに実がならずとも、ポツンポツンとなればいいではないか。自家消費の小さい農業でいいではないか。
 スリランカの友人宅では赤米のご飯にジャックの煮物とマンニョッカの青い実の煮物を掛けて食った。
 赤米は買ったが、それ以外は彼の家の庭で取れたものを使った。こんな具合にして国民の多くが物をあまり買わない。買わないから貧しく見える。でも自家の食い物を自家で作る田舎の人は食うことにかけて、みんな裕福だ。
 そうかぁ。金かけないで食うって事、忘れていたなぁ。いや、金かけなくともグルメに食えるって事、知らなかったなあ……。東京という金がすべての世界で育ったヤツがスリランカで飯を食い、そういう「発見」をして、東北の山里カッシャグラに新しい田舎人として戻って来た。  



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