『柏倉通信』カシャグラ・リポート……No.5
「かえもつ」の掻き方
雪の降る正月、婆様に聞いた。
「ソバの実三粒を石臼の穴さ入れて、臼をゴロンゴロンと廻すてョ。また三粒入れては石臼廻すてョ。雪が降る冬場の山の暮らしは朝げから昼げまで、毎日そうしてソバ粉を挽いたもんだ。粉挽いたら飯粒か芋を、芋なら里芋が一番旨んまぇはげ里芋を混じぇて、囲炉裏の火で煮てトロトロに溶かすて、かえもつ棒でグルグルと掻ぐ……」
このかえもつ棒でグルグル掻き回してできる餅が「かえもつ」だ。「かえもつ」は「掻い餅」つまり「ソバ掻き」のことを言う。
粉にしたソバの実を熱い湯に振り入れながら、これを一気に棒で掻き回し粉を練る。練って柔らかな餅にする。シャマガタの郷土料理なのだけど、今時の都会派シャマガタ人には「かえもつ」を知らない人もたくさんいる。
婆様は続けた。
「…掻いだれば平らに均して、かえもつの表面一杯に深く十文字を刻んで囲炉裏の火さ掛けで、水を加えてまた煮で、グズグズ煮立ったれば、もう一回、かえもつ棒でギリギリ掻きまわす。これでかえもつの出来上がりッダナ」
熱湯で練った柔らかな餅は充分に体を温めてくれる。口当たりのトロトロする滑らかさはムースみたいで最高。胃に納まる気分も軽くて心地よい。
でも、年貢に米をしこたま取られて米が食えない、米が食えないから「かえもつ」を仕方なく食った、という過去のコンプレックスがこの至上の食品に今でも忌まわしい怨念となって付きまとっている。だから、舌と胃が感じる美味も心にはそうと感じない。冬の寒いときにソバ粉の「かえもつ」を掻いて乏しい米を食いつないで来た歴史。やるせない過去があるからだ。
でも、恐らく、いや、食文化の分布から見れば間違いなくシャマガタの「かえもつ」はアフリカ西サバンナのトー、南インドのイットゥ、ネパールのデゥロと同じタイプの世界にネットワークを持つ粉食料理だ。雑穀を粉にして、その粉に熱湯を注ぐか、粉を湯に入れて煮るかして柔らかな餅状にし、これにタレをからめて食べるのがトーやイットゥ。アフリカとアジアの人類が料理ってやつ知ったとき、共通して創りえた食の文化の曙だ。作り方からすればホワイトソースを作るときのドゥとも寸分変わらない。 シャマガタとネパールの「かえもつ」はソバ、アフリカ・マリのバンバラ族のトーはモロコシ、南インドのイットゥはシコクビエが素材。だけど、そのつくり方はみんな同じだ。「かいもつ」という田舎料理はワールド・ワイド。世界に通じている。
「婆様、実はこの間、あのジャパン・タイムスにも載ったとかいうソバ屋の老舗でかえもつを注文して食ってみたんだ。ホワホワして旨かった。でも、つけ汁が今一つ納得出来ないんだ。醤油味のつけ汁に糸引き納豆が数粒沈んでいた。婆様は山で暮らしていたとき、どうやってかえもつを食たんだ?」
「こばすだぁ」
「こばす…かぁ?」
「んだぁ。ソバをカノさ蒔ぐべえ。こばすはその脇さ蒔いだ。こばすが出来たら取っで、煎っでヨォ、煎っだのを擦ってから砂糖醤油さ合わしぇて、ほいづをかえもつさ掛けて食うッダナ」
カノは火野、焼き畑のことだ。ソバをつくる焼き畑の脇にこばすを撒くという。でも、こばすって何だ? 農文協の『山形の食事』で探したら「こばす」は「香ばし(油)」のことだとあった。相棒が「ジュウネンよ」と言った。エゴマだと言うのだ。
「エゴマかぁ……」
「エゴマの香りは、ちょっとゴマより遠いんだけど」
「エゴマって縄文の遺跡から黒々と炭化したのが出てくるね。ちっちゃな粒だろう?」
「そう、ヘソのゴマみたいな大きさ」
ひょうたんから駒のような食文化の再発見。アジア大陸の北を原産地とするソバが、南のインド大陸に生まれた熱帯性のエゴマと出会って、それが日本のシャマガタで融合して「かえもつ」を誕生させた。しかも、それは、ひょっとして縄文の頃に遡るかも知れないニッポンの食文化。食いしん坊の興味は尽きない。
「尽きないのはわかったけど、かえもつを昔の姿のままに上手くつくれなきゃ意味がないわ」
「実験考古学だな。縄文クッキーを再現するよりも素朴でいいな」
素朴。そう、飾り気のないシンプルな田舎暮らしの食べ物。正月に「かえもつ」を作るなんてシャマガタの常識では聞いたこともないのだけど、きっと、これは古代ニッポンの正当な正月料理だったかもしれない。
囲炉裏の鍋に湯を沸かし、ソバ粉を加えて「かえもつ」棒に力を入れてギッギッと掻き回す。この作業が腕にきつい。汗、汗。真冬の汗。
外ではマイナス五度の粉雪がしんしんと降っている。
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