『柏倉通信』カシャグラ・リポート……No.4
ヤミの復権
カシャグラ村は農地法と農振法の二つの縄でガンジガラメに縛られている。この二法は本書が度々、口を酸っぱくして解説してくれているのでお分かりだと思うのだけど、この農地をつぶさないという二つの法律があるお陰でカシャグラ村は乱開発からようやく守られて田も畑も工場用地や団地にならず、その緑の姿をどうにか保っている。
だが、困った。この二法のために農家以外の人は農地を持てない。だから、新田舎人は田舎に住んでも農地から締め出される。
ウルグアイ・ラウンドやら何やらのために減反させられた田圃は荒れているし、農業では食っていけないから耕作放棄で見捨てられた畑も草ぼうぼうだ。でも土地は売ってしまえば二束三文だし、先祖伝来の「宝」はそうそう人手に渡せない。死に体の畑は、だから、見捨てられたまま農道の傍らでウンウン唸っている。
「オレも勤めがあってなかなか畑まで手が回らないし……どうですか、タンノさん、畑やってみませんか」
公民館の山形市政フォーラムとかいう会合に出た帰り、同じ出席者のゲンユウさんからそう誘いを受けた。ゲンユウさんは元もと葡萄と田を作る農家だったが、二十年近く前、農業では食っていけないと、きっぱりと生業で作る葡萄畑を潰し、酒造に勤めた。
だから、研究熱心なゲンユウさんの家には日本中の銘酒が並んでいて、この日は秋田の酒とゲンユウさんが造る男山とを比べて飲むことができた。
グィッと杯を飲み干してゲンユウさんが言った。
「一反五畝ある所だけど……」
「そりゃ有り難い。貸していただけるなら、たとえ火の中、水の中だ」
「んだぁナァ。火は出ないが、田だった所だから水は出る。それで良かったら使ってください」
ということで話がまとまった。農地法と農振法の縛りもさることながら、農地は他人に貸すとその他人に耕作権というやつが生まれてしまい、畑を貸した人は畑を取られたという気分になってしまことがあるそうだ。昔、日本を変えたマッカッサーの時代に農地改革があった。あの時、結果的に土地をただ同然で売り買いさせられた経緯があって、農家の人にはその記憶がまだ鮮明だという事情もある。田畑は守らなければならない。
畑を見に行った。
借りる一反五畝の畑は荒れていた。背丈もある草がぼうぼうだった。うわぁ大変だぁ、雑草をどうしようと案じていたら、見に行った翌日、ゲンユウさんが出勤前に大型トラクターであっと言う間に畑を整地してくれていた。
後は鍬で細かく耕せばいい。早速、ホーム・センターでヤマガタ鍬を買ってきて土を耕した。柄が短くて鍬の先が長くて、勾配のある畑を耕すには調度いい形の鍬だ。
「やっと百姓のまねごとができる。スーパーの野菜を買わなくて良くなると思うとホッとする」
どうにか畑が借りられたと高畠の知人にそう話した。高畠の知人は、元農協職員だ。
「畑を借りたのだから私は小作ですね」
「タンノさん、そいづは違う」
と元農協さんは言う。
「畑借りて農業するには地元の農業委員会に届けなくてはならない。農地の売買や変更にも三条、五条の申請が要っけんど、借ッ時も手続きが要るッダナ」
「ええ? 本人同士で貸し借りしてはいけないの?」
「まあ、借ッてもいいんだけんど、小作ではないな。買ッときも借ッときも農業委員会さ届けが要る」
シャマガタでは「借りた」も「買った」も「カッタ」と言う。何だか、私の頭の中じゃ話の道筋がごちゃごちゃしてきた。
「すると私は届けを出していないから小作にはなれない?」
「んだぁ。あなたは言ってみればヤミ小作!」
元農協関係者はニヤッとして、優しい笑顔でそう言った。
「まあ、畑を借りたタンノさんの権利は何ぁんにも保障されないッてことだなッス。第三者にも対抗できない」
第三者だの対抗だのムズカシイことを言う。それはよく分からないがヤミという言葉はよく知っている。ヤミ市、ヤミ米、ヤミ将軍……とにかくボロ儲けしたり、絶大なる権力を振り回すということがヤミという言葉の持つ正しい意味なのだ。こんないいことはない。私はタダで酒造のゲンユウさんから畑を借りて、天下のヤミ小作になってしまっていたのだった。
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